コミュ障なのに人助けしたい矛盾

私自身、正直あまり人が好きではないので、基本的には最小限の人間関係で生きていきたいのが本音です。

幼少期から今まで、本当に人間関係で苦労が多かったので、余計にそう思ってしまうのでしょう。

どんなに親切に優しく接していても、結局裏切ったり、悪意で返されたり・・・

私はあまり、自分からお節介を焼くタイプではありません。

ただ、何故か色んな人の身の上相談を受けたり、頼られてしまうところがあるみたいで、相談に乗ったからには何かしらの解決策を伝えたり、一緒に考えたりするわけですよ。

それは人として当たり前だと思うからです。

それに感謝してくれて、ずっと恩義に感じてくれる人もいれば、何故か逆に悪意で返されることもあって、本当に人間って身勝手で、訳の解らない生き物だなぁと思うことが多かったです。

子供の時から、一番信頼したい親でさえ、平気で手のひら返しはするわ、気に入らなきゃ暴力は振るうわなど、悪意に満ちた行動をとる最悪な人たちに囲まれ、人間不信でした。

それ以降も、思い返すと、本当に自分を思ってくれて、ちゃんと心の交流が出来ていた人は全体の1割程度。それ以外の9割は何故か意思疎通が上手くいかなかったり、平気で悪口言ったり、裏切ったりする輩がほとんどでした。

どこかで人を信じたい、人の性善説を信じたいと思っていた私でしたが、20代後半ぐらいには完全にそれを諦めました。

人間ってのは、同じ日本人であっても、全然日本語通じない人もいるし、物事の捉え方や感じ方が人それぞれで、「何でそんな風に受け取っちゃうの?」という、こっちからしたら本当に訳がわかんない考え方をする人がいたりして、それは、魂の成熟度などが関係していて、魂年齢が違い過ぎると物事の捉え方まで違うんだと痛感するようになってきたのです。

そういった意味で、みんな人は信じあえる生き物だという考えは、だいぶお花畑だなぁということに気づいてしまいました。

残念なことですが、人と接する時、私はちょっと警戒しながら様子を見るという姿勢に変わってしまいました。

それほど人間というのは複雑怪奇で、一筋縄ではいかないものなんですよね。

特に私なんかは、人の念などに敏感な方なので、基本的には一人もしくは、5年前に出会ったツインレイ男性と過ごすことがほとんどです。

それ以外の人には能面のように、フランケンシュタインのように、一切表情を出さず、淡々と接しています。

いつしか、人に好かれたいとも思わなくなりました。

自分が好きじゃない人から好かれるぐらいなら、嫌われた方が楽だ!と思うようになりましたね。

人と接しない方が本当に楽で、すごく楽しくて、気持ちが軽やかで清々しいんです♬

これが本来の自分なのに、何故か気になる存在がいます。

それは、ホームレスの方であったり、虐待された孤児の子供であったり、捨てられた動物たちであったりです。

彼らのことを、ニュースの特集などで観たりすると、

「何とか力になりたい!」

と、心の底から泉のように、私の中の無償の愛みたいな感情が沸き上がってきます。

不遇な人や動物に対しては、相手を信じてるとか信じてないとかに関係なく、救いたい・救わなくてはならない!と、強い衝動にかられます。不思議で仕方ありません。

そう、それは本当に無償なんです。

その人たちから感謝されたいとか、ヒーローになりたいとか、そんな気持ちは微塵もありません。

むしろ、必要以上に近づかれるとちょっと引いてしまいます。

基本的には人間不信なので、直接、彼らに接するのは苦手です。

ただ、寄付などで、不遇な人々を支えるNPOの方々に金銭的支援をしたいとは本当に強く思っています。

動物は大好きなので、動物愛護の団体には寄付しつつ、自分でも直接お手伝いできることがあればお手伝いしたいなと思っています。

これは、本当に不思議な気持ちで、長年、この、「人間嫌いの人間好き」って感情は一体何なんだろう?と自身の中の二面性に苦しみました。

しかし、最近の記事でも書きましたが、自身が「ライトワーカー」だと自覚してから、その謎の二面性の意味が解りました。

ライトワーカーになる人は、輪廻転生の数が普通の人より多く、幼少期などから人間関係で沢山悩み、苦しむ運命にある人がほとんどであると、あるスピリチュアリストの方の言葉で合点がいったのです。

要するにおじいちゃん・おばあちゃんの魂年齢なんですよ、私は。

そういえば、何か子供の頃から妙に冷めていて、周囲の子供たちとは全く馴染めなかったなぁと感じていましたし、大人に対しても、間違ってるものは間違っている!とはっきり言う方でした。

社会や人間のご都合主義が大嫌いで、それについて親や周りに尋ねても、「そういうもんだよ、世の中ってのは」みたいなフワっとした答えしか返ってこなくて、私の疑問に答えられる大人は周りに誰もいませんでした。

「本当、誰もあてになりゃしない。これは自分で考えて行動していかないといかんな」

と、幼心に思ったものです。

なんせ、おばあちゃんの魂を持った私なんかと「禅問答」のようなことを対等にできる人が少ないのも、今となれば納得です。

何度も、こんな世の中嫌だと思って、早く死んでしまいたいと思ったことがあり、本当に実行に移す瀬戸際まで行ったことがあります。

しかし、何故か死ねない。死なせてもらえないという状況になってしまうんです。

それは、やはり普通の人より自分の想像以上の壮大な使命が私の肩に乗ってるからなんだと思うんです。

私に子供が授からなかったのも、もっと大きな視点で、多くの人を救うお役目だったからだと、今は納得しています。

今、私に出来ること。

それは、しっかり投資家として稼ぎ、莫大な資産を形成すること。

自分が一生食べていくのに十分なお金を確保しつつ、それ以外の余剰は全て寄付や奉仕活動に充てるという考えに最近ようやく達しました。

なにをどうしたらいいのかずっと暗中模索でしたが、この頃ようやく自分の歩く道が定まったな、と安心しています。

もう、何も迷いがないので、最期の日まで駆け抜けるだけです。

しかし、この目的を遂行させるには、おそらく私一人では難しかったと思います。

だから、きっとべストなタイミングで5年前、神様が私をツインレイ男性と出会わせてくれたんだと確信しています。

彼も、私のこの目的に賛同し、賞賛し、喜んで協力したいと言ってくれています。

多分、普通の恋人だったら「何言ってんの?」みたいに思われるような壮大過ぎてぶっ飛んだ目的で、きっと離れていったことでしょう。

しかしツインレイは違うんですね。

ツインレイ男性もかなりぶっ飛んだ人で、いわゆる「魂の片割れ」なわけですから、きっと魂レベルで共感してくれているのでしょう。

そういう人に出会えて本当に良かったと思っています。

片割れと一緒に、完璧に定まった目的を、淡々と遂行していこうと思っています。

誰かの役に立てる自分になっていきたいと、強く思う今日この頃です。

長くなり、すみませんでした。

今日はこの辺で。



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