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【短編小説】If my wishes can be true..

新緑の美しい3月末、入社2年目の鈴木秀樹は、年度末の仕事に追われる日々を送っていた。内示の日、今の係長が異動となり、新しい係長が着任すると聞かされた。新しい係長は、8歳年上の独身女性、佐藤麻衣だった。

佐藤係長が部署に現れた瞬間、秀樹の心は止まったかのように感じた。凛とした佇まいに、柔らかな笑顔。知性と優しさを兼ね備えた美しい瞳。秀樹は心を奪われてしまった。。

「初めまして、佐藤麻衣と申します。今日から皆さんの係長を務めさせていただきます。どうぞよろしくお願いします」

佐藤係長の爽やかな笑顔と澄んだ声に、秀樹の心は大きく揺さぶられた。まるで、彼女を前世から知っているかのような、不思議な既視感を覚えた秀樹は、自分の感情に戸惑いを隠せずにいた。

佐藤係長は、部下一人一人に丁寧に挨拶をし、その場を和ませていた。優れたコミュニケーション能力と、周囲への気配りに長けた彼女の姿に、秀樹は深い感銘を受けた。



佐藤係長は、仕事に厳しい一面もあったが、部下思いの優しさも持ち合わせていた。秀樹は、係長の仕事ぶりを尊敬しつつ、次第に佐藤係長を女性として意識するようになっていった。

ある日、秀樹は資料作成に苦戦し、連日、残業が続いた。佐藤係長はそんな秀樹を心配し声をかけた。

「鈴木君、何か困っているなら、相談にのるよ?」

「いえ、大丈夫です。自分で何とかします」

秀樹は一応そう答えたが、佐藤係長の気遣いがとても嬉しかった。

「そう。でも、一人で抱え込まないでね。私はいつでも君の味方だから」

「ありがとうございます。がんばります」

秀樹は、恥ずかしそうに答えた。

「うん。がんばって」

佐藤係長は、そんな英樹を優しい目でみていた。



ある雨の日、仕事を終えた秀樹は、ふと窓の外を見て思わず呟いた。

「あー雨かぁ。傘持ってきてないよ」

すると、偶然秀樹の声を聞いた佐藤係長が声をかけてきた。

「鈴木君、傘を忘れたんだったら、駅まで一緒に帰らない?私、大きめの傘持っているから、鈴木君が入っても大丈夫だと思うわ。鈴木君も今日くらい定時で帰りましょう」

「いいんですか?ありがとうございます。嬉しいです!」

「鈴木君は素直ね」

佐藤係長は微笑んだ。

二人で傘を共にしながら駅まで歩く間、秀樹が傘を持った。そして、佐藤係長を濡らさないように傘の位置を調整した。

「鈴木君。それじゃ濡れちゃうよ」

「いえ。佐藤係長が雨で濡れてはいけないので」

「ありがとう。やさしいね」

「いえ。部下ですから」

「係長は、単なる取りまとめ役よ。そんな風に思わないでくれたほうがいい」

「ありがとうございます。そんなこと言ってくださる係長って初めてです。佐藤係長がきてくださって本当によかったです」

「佐藤君がそう言ってくれると、なんだかすごく嬉しいわ。ありがとう」

秀樹の佐藤係長への想いは日に日に大きくなっていった。しかし、二人は、会社の中では上司と部下だ。秀樹は、立場の違いをよくわかっていた。秀樹は自分の佐藤係長への思いを無理やり封印した。



佐藤係長が着任して3か月経過した初夏の頃だった。秀樹と佐藤係長が、偶然、残業で二人だけになったことがあった。二人とも自分の仕事に集中していたため、お互いの存在を最初は意識していなかった。

「あれ、鈴木君残ってたんだね。資料を読んでいて気がつかなかったわ」

佐藤係長が秀樹に声をかけた。

「私も集中してしまってました。おかしいな。佐藤係長がいたら、気がつかないはずないんですが」

「そうね。係長がいたら、やっぱり気を使っちゃうから気づくよね」

「あ、いえ。そういうことじゃないんです」

「え?」

「あ、いや。その」

「ん?」

「私、佐藤係長のことが気になるんです。それは、上司ということじゃなくて女性として・・・」

「え・・・」

秀樹は自身の言葉に自分が驚いてしまった。

「鈴木君。からかわないで」

そう言った佐藤係長は、明らかに同様し、頬がほんのり赤くなっていた。

「す、すみません。でも、これは本心なんです」

覚悟を決めた秀樹は、自分の気持ちを佐藤係長にぶつけた。

「だ、だめよ。それは・・・」

佐藤係長は、秀樹の告白を遮るように言った。しかし、その瞳には揺れ動く感情が浮かんでいた。

「ご、ごめん。用を思い出したから、私、先に帰るわね」

佐藤係長は言葉を濁し、その場を立ち去ってしまった。



数日後、課長から突然、佐藤係長が一身上の都合で会社を辞めると聞かされた。今日が佐藤係長の最後の出勤日ということだった。

秀樹は、あまりの驚きに仕事が手がつかず、パソコンのモニターを見続けているだけだった。

「鈴木君。仕事の引き継ぎをしたいの。別室にちょっといい?」

佐藤係長が秀樹に声をかけた。

会議室に入って、椅子に座った佐藤係長が秀樹をじっとみて言った。

「私も、本当のことを言うわね。鈴木君、私も君のことが好き。それは男性として」

「え?それなら、なぜ・・・」

秀樹はさらに頭が混乱していた。

「でもね。私は、あなたよりも8歳も年上なのよ。あなたにはもっと若くて可愛い女性がいいんじゃないかって思ったりするの。それに、私、あなたに本気になったら、係長という立場を守っていく自信がないの。将来があるあなたのキャリアを傷つけてしまうかもしれない。私はそれだけは嫌なの」

「お願いだからやめないでください。そばにいてください。お願いです」

「ありがとう。嬉しい。すごく嬉しいの。でも、その気持ちに正直になることは、私はやってはいけないことなの」

佐藤係長は堪え切れず涙声になっていた。

「ごめんね。さよなら」

そう言って、佐藤係長は会議室から出て行ってしまった。



佐藤係長が会社を去って1年が経った。

秀樹は、佐藤係長がいなくなってから、笑うことがなくなってしまった。仕事への情熱もなくなってしまった。

定時になった。秀樹は、事務室の窓から今にも雨が降りそうな外を見ながら佐藤係長のことを思い出していた。忘れようと思っても忘れられない。

「もう、帰るか」

秀樹が会社のビルを出てすぐだった。雨がポツリポツリと降り出した。そしてすぐ本降りになった。

秀樹は今日も傘を持っていなかった。でも、走り出すことなく、濡れながらゆっくり歩いて行った。

駅の手前の信号に着いたときには、秀樹はずぶ濡れだった。それでも、秀樹は表情を変えていない。赤の信号をぼんやりと見つめていた。周りの人々が怪訝な顔をして秀樹を見ていた。

(もう、佐藤係長とは会えないのかな・・・)

秀樹の目から涙がこぼれた。それを雨が打ち消していた。

突然、雨が止んだ。いや、秀樹に誰かが傘を刺しかけたのだ。

「え?」

秀樹は驚いて横を見た。

「鈴木君。どうしたの・・・。ずぶ濡れじゃない」

佐藤係長だった。

「佐藤係長・・・」

秀樹はそう言って、佐藤係長を見つめた。

「どうして、ここに・・・」

「会社を辞めて1年経ったって思ったら、どうしてもここに来たくなったの。来てはいけないって思ってたんだけど、1年経っても鈴木君のことが忘れられなくて・・・」

「佐藤係長・・・。会いたかった。ずっと会いたかった。この1年私は・・・」

「ごめんね。佐藤君。ほんとごめんね」

佐藤係長の目から大粒の涙がこぼれてきた。

秀樹が佐藤係長を抱きしめた。佐藤係長が傘を手放し、そして秀樹を抱きしめた。

「佐藤係長」

「私はもう係長じゃないわ。麻衣って呼んで」

「麻衣。好きだよ。大好きだよ」

「私もよ。秀樹」

雨足がさらに強くなった。しかし、二人はいつまでも抱きしめあっていた。

(終わり)

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