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退職の話

 約5年勤めた仕事を辞めた。いざ辞めてみると呆気ないものだ。とりわけ歳の近い従業員の子たちは涙ながらに別れを惜しんでくれていて、辛いこともたくさんあったけれど、それだけでも働いていてよかったなと思える。

 大学4年生の春。本気で自分には何もないと思って就職活動をする意味も見出せなかった私は、仕事を決めないまま大学を卒業した。学歴を持て余しているのは分かっていたし、何より親に後ろめたい気持ちがあった。とりあえず手に職を、と思って派遣会社に登録し、前職を紹介してもらった。派遣期間終了後は正社員登用という触れ込みだったが、結局はアルバイトとして直接雇用になった。何の役にも立てないのに実力以上の給料や賞与を貰うのは嫌だったのでそれでよかった。初めこそ責任ある仕事を避けていたが、自分の実力や貢献具合に納得できた段階で契約社員、正社員とステップアップできたので御の字だった。大学を出て何者でもなくなった私をここまで社会人たらしめてくれた、共に働いた仲間にこの場を借りて深く感謝します。

 私が退職を考えるようになったのは25歳になったばかりの、いわゆるアラサーと呼ばれる年齢に差し掛かった時。社歴で言えば3年目の夏。退職を考え始めたのは、ずっと胸の中で鳴り響いていた言葉があったから。

 2010年8月、宇多田ヒカルが「人間活動」に専念するとして、無期限の活動休止期間に入ることを発表した。その「人間活動」について彼女は「自分の力で生きたい。色々と知らないことがあるまま生活しているので、1人でも生きられるようになりたい。」と説明し、また、どこかの媒体で「1人で何もできないおばさんになりたくなかった」とも語っていた。当時個人的な宇多田ヒカルブームの最中にあった16歳の私は、大仰ではないかと思いながらも「1人で何もできないおばさんになりたくなかった」という彼女の言葉に衝撃を受けた。宇多田ヒカルともあろう人がそんなことを考えていただなんて。一人で何もできないおばさんになんてなるわけがない。私がそんな風にぼんやりと彼女の決意を受け止めたところで、彼女は「人間活動」をスタートさせた。人間活動期間の初め頃だっただろうか。彼女が初めて1人で地下鉄に乗ったという旨のネットニュースを目にしたのを覚えている。彼女は「1人で何もできないおばさん」になることを回避し始めたのだった。

 それからの9年間の間、私はことあるごとに彼女の言葉を思い返していた。そして25歳を迎え、家事、炊事、洗濯、家を借りること、一人で生活をすること。何ひとつとして一人でできない自分自身と対峙した私は、きっとこのままでは「一人で何もできないおじさん」になるのだと悟った。その時、9年前の宇多田ヒカルの気持ちが、少しわかった気がした。一人で何もできない人間になる恐怖。それは同時に、成人してからずっと拭えないでいた一人の人間としての未熟さの所以でもあったのだ。

 彼女は人間活動に入るにあたり「得意なことばかりやっても成長がないと思って。」とも語っていた。私も同じだった。得意なこと、できることだけを続けていくことへのマンネリ化も感じていたし、死ぬまでの日数はどんどん減っていくのに反比例して、年齢に対して知らないことがあまりに多すぎることへの恐怖は増していった。おじさんになってもできる仕事ではないことは、入社した時から分かっていた。遅かれ早かれアパレルの仕事は辞めていただろうが、ある程度後輩も頼もしく育ってきたところで、私の役目は終えたのだ。その過程で、この業界ではないところで、一人の人間として、一人の社会人として、今より少しでも成長したいと考えるようになった。当時の私には何もないと、人生に何の希望も見出せず、責任ある仕事を避け、生きていけるだけのお金さえあればいいと思っていた5年前の私には、きっと想像もつかないだろう。厭世的だった私が、わずかばかりの向上心を持てたことこそが、この5年間での何よりの収穫だった。

 しかしながら急な上司の異動や件の感染症のパンデミックなどもあり、長らくタイミングを見計らってきた。そして27歳になって半年が過ぎた今年1月、上司へ退職をしたい旨を伝えた。結果的には複合的な理由によるものだが、その根底にはずっと宇多田ヒカルの言葉が鳴り響いていた。彼女が人間活動を宣言したのは、奇しくも退職を決意した今の私と同じ、27歳の時だった。

 白紙に戻そう。不安定なシフト制の仕事をしながらでは、きっと転職活動も難航するだろうと思って、次の仕事を決めないまま退職をした。こんなご時世だ。上司も部下もみな、私の身を案じてくれている。しかしながらそんな私を追い詰めるわけでもなく「せっかくだからやりたいことやったら」と言ってくれる人たちに、今日も救われている。その人たちのおかげで、私の前途は明るいのだと思える。全知全能でもなければ清廉潔白でもないが、今の私には、5年前の私にはなかったものが確かにある。大丈夫。蟻はどんなに高いところから落ちても死なないのだから。

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