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「日の出前」 太宰治 感想文

今回の読書会は、「きりぎりす」だと思い込んでそちらを読んでしまい、はっと気が付きこの作品を急いで読みました。

「きりぎりす」では、有名になっていくに従って愚劣になって行く画家である夫の姿を、彼への理想が裏切られていく思いの妻の視点で描かれていました。

「日の出前」の勝治の姿と共に、太宰自身に内在する自分の矛盾への苦しみが書かれているような気がしました。

また「きりぎりす」の妻を通しての自己批判や、勝治へのシンパシーも感じました。

勝治の愚行は、「人間は自分の最高と信じた路に雄飛しなければ、生きていても屍同然である」p.328 新潮文庫

この言葉から、人生において最も純粋であるこの瞬間、親がこの息吹を掻き消してしまうことが、どれ程恐ろしい結末に至るかを、幾度となく起こる現実の似たような事件から見て取る度に、原因がなかなか理解しずらくて、また同じことが繰り返されて、悲劇から学んでいないことが残念で仕方ありません。

子の目線、親の目線、両方から考えてみると尚更解決策は一様では済まされないと思います。

「元農水事務次官長男殺害事件」は記憶に新しいところですが、その父は、「他人に危害を加える事」を恐れていた、自分の地位を捨て世間に全てを曝け出した犯行だと考えると、つい同情してしまいます。
しかしそこに至る原因は「医者になれ」という一方的な仙之助のそれとあまり遠くはなかったのではないかとも思われます。

仙之助が真の芸術家であったとは、勝治の進路を決めつける時点から疑われます。
「きりぎりす」の画家である夫が、知名度が高まるにつれ保身に転じて行く姿と仙之助の自分の名を汚すものを憎む姿は重なりました。
勝治が「雪景色の画」を盗んだ時点で、すでに父は息子に殺意を抱いていたのではないかと思いました。

勝治の「もう致しません」と涙を流す姿から幼い純粋さを感じ、全てが最初から愚かではなかったはずであると、その正しい芽が育たない環境は大変残念です。

有原の口から「お互いを尊敬し合っていない交友は、罪悪だ」と勝治をお金の為に利用しているこの態度には、小説を書く価値もない人間であると感じました。
なのにあまりに愚かな勝治は自分の思考に鍵をかけてしまっている、全てが受身で悪友に合わせている姿は、未熟ゆえの痛手です。

私の友人で、息子が手のつけられない不良になり、自宅が友人の溜まり場となりました。御多分に洩れず父親は大企業で働く人。
しかし母は負けなかった、玄関の友人達の靴に、二度と来るな、という思いでガラスを入れたり、大騒ぎするその姿を窓を全開にして往来に晒しました。
また友人は、わざと金髪に染め、真っ赤なスーツを着てピンヒールを履き、近所を歩き回りました。
息子が「やめて!」と一言、それ以来おとなしくなりました。

世間に曝け出す覚悟と、友人の親としての必死な姿に頭が下がりました。
この親の勇気と世間体など捨てること、子供を自分自身で考えさせ救うこと、この態度に感服でした。

この二作品を読んで、太宰は客観的にしっかり正しいことを見据えて人物に語らせている。特に、「きりぎりす」の妻はとても正しく思えるのです。このように考えられる太宰自身がどうしてあのような生き方をしたのか、大変不思議でした。


最後の節子の言葉は、カフカの「変身」のグレーゴル・ザムザの妹のグレーテとものすごく重なりました。

人の心の奥底には悪が潜んでいるのか。

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