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「戦争と平和」5️⃣ 第三部  第三篇 トルストイ 感想文

今しなければならないこと、今自分が出来ることは何か。

戦争という最大の窮地に追い込まれた時、果たして自分は感情的にならずに、必要なことを瞬時に判断し行動できる人間でいられるのだろうかと考えさせられた。

ボロジノ戦の後、戦わずして軍がモスクワを退却するということは、ロシア人だったら父祖の中にも潜んでいた感覚をもとに予言できた、と書かれてあった。

「一番苦しい時にしなければならないことを発見する力が自分の中にあるのを感じながら、落ち着き払って運命を待ち受けていた」(岩波文庫五巻p.43)。

いつ敵が侵攻して来るかわからない危機的状況下に、直感力と諦めと生き抜く意志の強さを潜在的に受け継いでいる気概に富む線の太い国民であるのを理解した。

四巻でアンドレイが、総司令官クトゥーゾフのことを、
「あの人は、何もかもじっくり聞き、何もかも記憶に刻み、何もかもふさわしい場所に置き、役に立つことは何ひとつ邪魔せず、害になることは何ひとつ許さないだろう。あの人は何か自分の意志より強くて、重大なものを理解している— それは必然的な事の成り行きだ」(p.368)と彼への思いを語っていた。

トルストイの「戦争は個人の意志を超える」という説にも通ずるものを感じた。

総司令官とは、大きな決断を迫られるのに、
「どんな瞬間にも、進行中の出来事の意味全体をよく考える事ができないような立場にいる」(p.28)という。
それなのに複雑で混乱の渦中にあり、「矛盾した無数の質問」に答えなければならないという立場。偶然が命令を無意味にすることもある。しかし時は待ってくれない。権力好きの人間でなければ務まらないのだと、クトゥーゾフという人間を想像してみた。


一方、「成就しようとしている出来事の意味を理解せず、だだ自分で何かをし、何か愛国的・英雄的なことをやり遂げようとする」(p.48)、思い込みの激しいモスクワ総督ラストプチンが対照的な人物として、かなり長く描かれていた。
自分だけのフィルターで見る愛国心、「モスクワが放棄される」という事実を民衆に早く伝えなかったラストプチンは、民衆の心を全く理解していなかった。

「ロシアの心を指導する人間という役割を自分の空想の中で自分のためにこしらえあげた」(p.177)。思い込みの為政者は、「自分で選び取った役割が急に無意味になった」ことで感情を抑えられなくなり、罪人への無意味な処刑へと走った。
勝手な布告で民衆に暴動を起こさせる、これこそ偽善者に見えた。
対照的な二人だった。

モスクワから離れるロストフ家の前に現れたボロジノ戦で負傷した多くの兵士達。
もしも一人でも残ったらと思うと手は出せないと考えてしまった。
しかしナターシャは、今自分が出来る一番大切なことを家族の中で一番先に気づいた。
大切な荷物は、置いていけばいい、そしてそんなナターシャに、ロストフ老伯爵も召使いもこれ以外にはありえないという気持ちに動かされていく。熱しやすいナターシャの気質が功を奏した。

大切な荷物を積んでいた私はハッとさせられた。心が浄化された。
ナターシャはこれでなきゃ!


やがて負傷したアンドレイと再会するのだが、その深い後悔と、「赦して!」という切ない言葉に、若いナターシャの過ちは許容範囲内だと思われてならなかった。

自分を捨てても、というピエールとナターシャはとても似ていた。

「天命」と思い込み、「ナポレオン抹殺」を決意するピエール。

「おれではなくて摂理の手がきさまを罰するのだ」と捨てゼリフまで決めていたのに、ナポレオンとの時間のずれに断念する弱気のピエールがとても人間らしかった。

戦争がどれほど恐ろしいものか、負傷したアンドレイ、気絶する程の痛みと、意識の朦朧とする中で見たナターシャ、二人の再会、残された枢機なシーンを早く読みたくなった。    

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