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「畜犬談」 太宰治 感想文

「私は犬に就いては自信がある」
「きっと噛まれるに違いない自信」。最初からフェイントをかけられた。
ダス・ゲマイネの
「私の左の横顔だけを見せつけ、私のおとこを売ろうとあせり」のように、何だか分からず冒頭からぐっと引き込まれてしまうのだ。

こんなに犬を恐れているのは、やはり友人の三七、二十一日間の通院が痛く響いているのだろう。
猛獣と称し極度に恐れているが、主人公の犬への復讐心の方がはるかに残酷であることがとても矛盾している。

「犬の忠誠心は卑劣」、罵詈雑言を浴びせるように犬嫌いは炸裂するのだが、「自分と似ている」との落ちが情けなくてとても好い。

臆病と凶暴と、信心深さと残酷と、矛盾だらけの見栄っ張りとカッコつけは、いつもの太宰先生の正直な素直な本音である。あまり使いたくない言葉なのだが、何とも「可愛い人」だと思ってしまう。

犬を嫌い、恐怖心のあまりに犬を研究し過ぎてどんどん犬好みの人間になってしまい犬に好かれてしまう。
この「節度を知らぬ」行為はどんどん逆効果を生んで行く。その向学心と情けなさのアンバランスが滑稽であった。

常にリーダーになるべき存在を求めているという犬の習性を考える。
犬の顔色を伺い好かれるように行動している主人は、既に子犬にばかにされている存在である。
しかし喧嘩に負け、心身共に成長していくポチが主人を主人と認めて行くことや主人がポチに対して変わっていく心の過程がじわじわと伝わって来るのだった。

醜いポチ、たまらない暑さの中での皮膚病の臭気を考えてみても、「殺してください」という妻の言葉は常軌を逸していたが、真実に近いお話だとすれば、妻の立場を考えて書くことを拒まなかったのだろうかと考えてしまった。

この辺りから、ポチは主の顔色とその動きをじっと感じていたに違いない。

我が家の愛犬は、散歩に行く時と獣医に行くことを、無言の私から感じ取っていた。言葉に出さなくても、医者に行くことを既に感じ取り全身が震えていた。直感的に散歩と識別している、そのことに驚いた。


主人は、「ぺちゃぺちゃと食べていた」と書いてあるのだが、ポチは既に何かを感じ取って主人を凝視していたのだと思う。背を向けてこちらを見ない主人の様子から、いつもと違うことを察し、きっと食べることをやめてしまったのだと思った。薬が効かなかったのではなく、なめただけで食べなかったのだ。それくらい繊細な神経を持っているのが犬であると思う。

喧嘩を許した主人を、主人として認識し、置き去りにされることを直感したのだと思う。

「芸術家はもともと弱い者の味方だったはずなんだ」と妻に言い分けする主人(太宰先生)に、「本当に大丈夫ですか?」と思わず口から漏れてしまった。
この道化のような、とんでもなく矛盾を抱えた情けない主人の姿が笑いを誘った。やはり「可愛い人」である。

こんなにもずっと妻に気を使う主人と妻との関係を想像してしまった。
日頃の重ねて来た主(あるじ)の汚点のせいであるのは明白である。

とても面白い作品だった。

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