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休日

あたたかな微睡みは、すぐに消えてしまった。
耳元でけたたましく鳴り響くアラームは、十分毎に鳴る設定にしているせいか、止めても止めてもしつこく俺を起こそうとしてくる。もう何度鳴ったかわからないそれを止めて、ようやく上体を起こすが、身体が重たくて縦になっていられない。頭では起きなければと思っていても、身体が起き上がることを嫌がっていた。低血圧な上に、寒さのおかげで、しばらくの間ベッドに潜っては起きてを繰り返していた。毛布の中のぬくもりが恋しい。
ようやくカーテンを開けると、街のあちこちを埋め尽くす白に、太陽の光が跳ね返ってはきらきらと目に飛び込んでくる。伊吹は一つ深いため息をつき、清々しいはずの風景を忌々しく睨みつけた。埋め尽くすくらいなら、もういっそ飲み込んでくれればよかったのに、と降り積もった雪に悪態をつく。
側にあったスツールに座り、未だぬくもりの残る毛布をたぐり寄せて、そのまましばらくぼーっとしていた。不思議なくらい静かな朝だった。
だんだんと頭が覚醒していくにつれ、そういえば昨日は六花の家に泊まったのだったと思い出す。洗面所にいく途中、キッチンからカチャカチャと食器のぶつかり合う音とともに、六花の鼻歌が聞こえてくる。この家の主のほうが一足早く起きていたらしい。
クローゼットを開け、ワイシャツを身に纏うと、頭が仕事モードになる。流れてくるいい匂いに導かれるようにキッチンへ向かうと、六花が俺の顔を見るなり変な顔をした。
「なにしてんの」
「あ?」
「いや、それ」
六花が作業する手を止めて、俺の胸元にあるネクタイを指した。
「今日は休日だよ」
「え、嘘。今日って何日だっけ」
「二十三日」
そう言われて手帳を確認すると、日付には赤い丸がついており、祝日だったことに気付いた。普段は土曜日も仕事のため、その感覚が抜けておらず、完全に無意識のうちに会社に行こうとしていた。
「こんなことならもう少し寝ておけば良かったな」
そう言いながら食卓テーブルに向かい合う。家では楽な服装でいたかったが、今更ワイシャツを脱ぐのも面倒だった。しかし、休日にまで首を絞められたくない。伊吹は、さっと紺色のネクタイを抜きさった。
「簡単なものしか作れなかったけど食え」
六花はそう言ったが、皿に乗っていたのは黄金色のトーストだった。その上にキャベツの千切りとトマト、ベーコン、目玉焼きに粗挽きの胡椒が振りかけられており、俺にとってはこの上ない贅沢な朝食だった。
「お好みでオリーブオイルをかけると、なお美味い」
小瓶に入ったオリーブオイルと熱々の珈琲をテーブルに置いて、満足したように六花も席に着いた。特別な日でもないのに、用意されるもの全てが豪勢だ。
「うん、美味い」
「だろ」
「どうした。いつもならこんなにもてなしてくれないだろ」
「お前をもてなしてるわけじゃねえよ。今日は休日だから、ちょっと贅沢しようと思っただけ。簡単にできるけど、ちょっと頑張れば良い気分になれる朝食ってやつ。たまには俺たち報われてもいいんじゃないかと思ってさ」
「なるほど」
目覚めが良いこいつは、朝っぱらから良く喋る。反対に俺は身体のエンジンがかかるのが遅いため、口数も少ない。滴る半熟の黄身を啜り、トーストを口いっぱいに頬張る。トマトの瑞々しさに胃が目を覚まし、染みこんでいるオリーブオイルと良い具合に塩味が混ざって、ベーコンの香ばしさとキャベツのシャキシャキとした甘みが何とも旨い。次から次へと唾液が溢れてくる。早く栄養を飲み込みたいと身体が要求してくるようだ。珈琲で流し込むと、身体全体にエネルギーが染み渡っていくように、体中の血管が温かくなるのを感じた。
室内もだいぶ明るくなり、窓からの日の光が、足下を差してぽかぽかと暖かい。澄んだような水色の空には雀が鳴き、遠くの方で電車が線路を踏み鳴らしていく音が聞こえる。
「実は俺も、今日が出勤日だと思って飛び起きたよ」
六花がしみじみとコーヒーを啜った。
「お前もか」
「うん。遅刻かと思った」
なんだ、人のこと言えないじゃないか。と笑いながら、また一口頬張った。珈琲の香りに包まれながら、ほっと息を吐く。
太陽が登るにつれて陽の光が家中を乱反射し、木のあたたかみが一層際立ってくる。壁紙を張らず、ありのままの木材を基調とした、ログハウスのようなこの家が、六花も伊吹も大好きだった。
「早起きは三文の徳っていうだろ」
六花がにやりと笑みを浮かべながら、目線だけをこちらに向けた。なにか面白いことでも思いついたような顔をしている。
「第一に、美味い飯とコーヒーにありつけた」
「はいはい、お前が作ったものは何でも美味いよ。ありがとう」と適当に流したが、それに対しての悪態もない。
「第二に、二度寝ができる」
「ほう……」
第三に、と言いかけ、眩しそうに目を細めた。
「朝日がこんなにもあったかいってことを知った」
劇的なことなんて起こらない。ドラマのような感動的な展開もない。時間がゆっくりと過ぎていくのを、俺たちはただ、取り留めのない話をしては、緩やかな休日を過ごすのであった。

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