音威子府村で、つくりたい

50代が間近だ。アラフィフだと言えば聞こえはいいが、ただの「おば」である。最近ではおじさんのことを「おじ」と呼ぶらしいので、対角にあるのは「おば」であろう。

肌のはりや体の衰えからも、もう「おば」であることを実感しつつある毎日である。お酒を少し多めに飲んだだけで二日酔いになり、雪かきを頑張ったら腰をやられる。

さんざんなんだよ!なんなら、ばぁだよ、ばぁ!


ということで、昔々、音威子府というところにいたトド夫おじが、とよ子おばに向かって
「地域振興の一環として、まちづくりをやりたい」と突然言い出したとさ。

もう本当に突然すぎて、一瞬あたまが、は?となった。

普段はカフェをやって、フリーイベントスペースみたいにしたい。せっかくだから音威子府の特性を生かして、工芸品や絵も置けたらいい、と。

ほう、面白そうだね、と話しは盛り上がったが、
ふと
「ねえ、それ誰がやるの?」
「もちろん、とよ子さん」
と即座にトド夫は言った。
「知ってると思うけど、私は介護士やってるのだが」
「まあ、そこはおいおい」
って何がおいおいなのだろうか。カフェで生計が成り立つものなのだろうか。
「それはとよ子さん次第じゃないの」とトド夫は、つらーっと言ってのけた。

だがしかし、とよ子おばは、ふと思った。
「残りを逆算すると働けるのはあと20年くらいなのか…」

若いときは永遠のように思えた時間なのに、あと20年だと思うと、とても短いように感じる。

トド夫といられるのも、日本人の平均寿命で行くと、せいぜい30年くらいなのかと思ったら、じんわり涙ぐんでしまった。
センチメンタルジャニュアリイ。

「うわーん!トド夫、元気で長生きするんだよおおおお」
いきなり、とよ子おばが、涙声で叫びながら、がしっと抱きついたので、よろけそうになるトド夫おじ。
そこはしっかり受け止めて欲しいところだが、60キロのおばの哀愁は、さすがに重かったらしい。

「だって、あと20年くらいしかないと思ったら泣けてきて仕方ない」
ティッシュで涙をふきふき話すと、
「だからさー。だから、何かしようよ。この村のために!」
ここぞとばかりに力をいれてくるトド夫。
「そうか、そうだね」と思わずうなずく私。
なんだか感傷にまかせて、とにかくカフェをやることになった。

音威子府村にカフェらしいものは二つある。
イケレというところと、アトリエサンモアというところだ。
サンモアで働いている川崎 映くんは、色鉛筆でとても繊細な美しい絵を描くひとだ。
その彼が、今年度でサンモアを辞めると風の噂で聞いた。

「彼ならカフェのこともわかるし、フリースペースのこともどうしたらいいか助言してくれるんじゃない?」
とトド夫が言いだしたので、なるほどと、彼にコンタクトをとろうと思ったのだが。

SNS全盛の昨今、つながる手段は多様だ。
インスタ、Twitter、フェイスブック、代表的なのでこんなものだろうか。
ただし。
トド夫も私も、きちんと使おうと思ってなかったため、適当なアカウントにしている。私なんてusagi.oshiriなんてものにしており、ほとんど休眠しているようなものだ。

そのアカウントで繋がれると思った我々が甘かった。

私もトド夫も、どうにか川崎くんと繋がろうと連絡してみたが、インスタは既読にもならず、トド夫は返信はもらったものの、その後はスルーされ、会うまで至らなかった。

まあ確かに、警戒するのは仕方ない。向こうは実名で表に出ているので、リスクも考えねばなるまい。
それはわかる。わかるけどさー。

おじとおばは顔を見合わせ、SNSの難しさに頭を抱えたところです、なう。

次回の報告をお待ちあれ。



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