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人の期待に応えない練習

私は、いわゆる世間的な「いい子ちゃん」の部類に入る人間です。


人の期待に応えないと、悪いことをしている気持ちになる「いい子ちゃん」タイプ。


最近になり、これは一種の呪いだったのだと気がつきました。


どんな呪いかというと。


「ちゃんとできていない私は、皆に嫌われるんだ」というものです。


私は、昔から、ちょっとズレているところがある子だったようで、私の中で気にならなかったことでも。


周りの目を気にした親から「そんなんじゃ嫌われるよ」と教えられてきたことがいくつかあります。


何度かそんな出来事を重ねていくうちに。


相手の気に入ることをしないと、嫌われるんだ。イヤだな。怖いな。って子どもながらに思いました。


それが「ちゃんとしないと」という部分にも繋がってきてて。


「ちゃんとできていない私は、皆に嫌われるんだ」という思考が出来上がってしまいました。


これが私にとっての呪いです。


みんなのためになるんだから、いいことじゃんと言い聞かせてきましたが。


これを、素直に、いい子に

「誰かの期待に応えよう」と頑張って。

「ちゃんとしないと」と、生きてきて。


楽しかったことなんて、何にもなかったように感じます。


なぜかというと、


私の意思や存在が無視されていたからです。



それが、とてつもなく苦しかったことにやっと気がつけたのです。


ちゃんと

ちゃんと

ちゃんと


ちゃんとってなんやねん?

と突き詰めると、なんかボヤッとしたもの。


そんな、よくわからないものなんですよね。


もちろん、「人の期待にちゃんと応えよう」と頑張って考えて行動して、人から喜ばれることはありました。


ありましたが、喜ばれない時、それは「世界からの拒絶」に近いくらいの大きさで私にのしかかりました。


お前なんて、生きてる価値がない。


お前は、だめなやつ。


そんな、人格否定レベルのショック。


それだけが私の存在価値になっていること。


それが、おかしいことに、ここ最近やっと気がつけました。


人との境界線を明確に引き。


「自分は、どうしたいのか?」

「どう在りたいのか」


これを持って進むために。


人の期待にあえて応えない練習って必要だな、と感じたのです。


そんなことをいいつつも。


目の前の人が楽しそうだと自分の用事があっても合わせてしまったり、言いたいことを押し込めてしまう癖はまだまだあります。


何事も練習ですね。


このお話は、誰かが喜んだとしても、自分が悲しんでいたら、それは「いいこと」でもないし、誰も幸せにならないことを伝えるために書きました。


自分が幸せじゃないのに、周りに合わせて笑顔を作り、嘘をつく。そんな私が、私にとっては「最高に悪い子」だったのだと思います。


いつもなんだか悲しくて、虚しくて、空っぽな気持ちでした。


私のことなんて誰も理解してくれない!


と拗ねていたのは、全部私が自分を無視して生きてきたからだと気がつけました。


もちろん、親なりに私が周りに嫌われないようにという愛情だったのかもしれませんし。


親もそのように教えられたり、学んできたのかもしれません。


でも、私にとっては、それは正解ではなかったということです。


これは、誰かに喜びを与えるためには、自己犠牲をしていては、長くは続かない。


と感じた私が、じゃあどうしたらいいのかともがいている、実験記録の一部です。


なんだか、気持ちが入りすぎてまとまりませんでしたが。


「私の幸せは、世界の幸せ!」をスローガンに、自分と向き合い幸せになるため、これからもマインド掘り掘りしていきます。


今日のまとめとしては「ちゃんとしても人生がつまらなくて、自分を好きになれないのなら、羽目はずして自分のために生きてみようぜ」でした。


もっと分かりやすく伝えられるように精進します。


では、また明日👋

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