『キッチン』吉本ばなな/新潮社文庫

吉本ばななの『キッチン』では、主人公は台所に安寧を見いだしている。

「キッチンで死にたい。それは安心で、すこし前向きになる」

私はこの一文にとても、とても感動したから、ばななの真似っこをしようと思った。けれどできなかった。私の安いおんぼろアパートのキッチンは布団が引けないほど狭いし、何より、玄関を開けるとすぐそばにキッチンがあるせいで、とてもじゃないけど寒くて眠れない。

友達の前では「すぱっと死にたいから事故死がいい」なんて常日頃言っているけれど、あれは私が公に合わせるために吐いたうそだ。本当はできる限り苦しんで死にたい。だってそうじゃなきゃ、良かった時のことなんて思い出さないだろうし。

20年前に好奇心で吸ったたばこを恨みながら、なるべく苦しんで逝きたい。娘を先に死なせることを嘆く母と大好きな友人に悼まれながら、もがいてさけんで、でも最後にはそんな気力すらも無くしてしまいたい。一つずつ捨てていくのだ。大事なものを一つずつ。そして禅そのものになったわたしに、ようやく死が訪れる。

病院の床に1年以上伏したままの私は、あのころは良かったと幸せなことを思い出すだろう。ひょっとしたら、思い出してもむかむかする恋人のことや苦手な人のことさえいとおしく思うかもしれない。何だって今の私よりはすべて幸せなことなのだ。そうして病気になったこと以外の記憶が全部すっかり良いことに書き換えられた後で、血反吐を吐いて吐瀉物をのどに詰まらせて死ぬ。

たばこはゆっくりと確実に私を死に誘う。果たしてそれが吉と出るのか凶と出るのか、今の私には分からなかった。20年後、生きたい私は若かった私を恨むだろうか。それともよくやった! とほめるのだろうか。これは私の、未来の私に対する挑戦だった。


追記

これを書いたのは2016年の冬頃だと思う。残念ながら今はたばこをすっぱりやめてしまったので、20年後の私が今の私に対して恨むことがあるとするならば、一瞬でもたばこを吸っていたことよりも子宮がん検診に行かなかったことだろうなぁと思った。

そもそもたばこはおはなしの材料を作るために吸い始めたのだけれど、書き終わったらすっぱりやめられると思ったし、事実やめられたから、まあ良かったなぁと思った。多分中毒になる前にやめたせいだろうなぁって思う。あと私お酒も苦手ですぐ顔真っ赤になるし、多分そういう、ありとあらゆる毒に対しての効力って言うのが無いんだと思う。だからお酒もたばこも満足にたしなめないのだ。外見もたばこ似合わないし。せめて格好付くような容姿だったら、得意げに今もすぱすぱできるんだろうなぁ。たばこやおさけが似合う人はやっぱりうらやましいなぁ。私に似合う嗜好品ってなんだろうなぁ。麦茶かなぁ。

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