見出し画像

哲学は、その生き方で示すもの

4月27日の記念日【哲学の日】

紀元前399年4月27日、古代ギリシアの哲学者ソクラテスが、時の権力者から死刑宣告を受けて、刑の執行として獄中で毒を飲んで亡くなったとされています。そのことに由来した記念日です。当時、その罪の理不尽な判決に、弟子たちは脱獄を勧めたが、「悪法も法である」と判決を受け入れ、毒を飲んだといいます。「善く生きる」意志に殉じた生涯であったと言われています。

哲学、この難しい学問は、果たして他者に共有できるものなのか。哲学者というものを、倫理哲学の授業で出会ってから、ずっと気になっている自身の課題です。

哲学者と歴史がそう呼ぶ人達は、他の分野においても偉人であった人が多いのですが、最終的に哲学者として、後世に名前が残るか否かの境目は、その人の生涯が、最期までその人独自の思想で一貫した生き様だったかどうかのように感じます。

であれば。哲学者と呼ばれる人達が残した考え方は、単に言葉としてのもので、知識として触れるだけのもので。

哲学は、そんな先の哲学者達の言葉もヒントにしながら、自分の人生で一つしか全うできない思想を生きられるかどうかではないかと。

自分がどんな生き方に出会えて、殉じているのか。不自由に暮らしている療養中の今などは、そんなことを考えるのにもぴったりかもしれないなと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?