見出し画像

金スマ 黒柳徹子さんの回を見て

11月10日の #金スマ は #黒柳徹子 さんをゲストに迎えて2時間SPだった。この年末は、およそ40年前に大ベストセラーとなった「窓ぎわのトットちゃん」がアニメ映画化されたり、また、トットちゃんのその後を描いた続編が発刊されるということもあってのいわゆるPRではあるのだけれど、とても心に残る内容だったので紹介したい。

「徹子の部屋」は知っていても、そもそもどうして彼女が大御所タレントなのか?? それこそ「トットちゃん」ブームに沸いた全盛期を知らない世代も増えていることから、スタジオにはその代表としてZ世代のタレントや観客を入れて、彼らに説明するような形で徹子さんとはどんな人なのか? を紹介していく

中心となるのは、過去の「ザ・ベストテン」の映像素材である。

#金スマ を立ち上げた阿部龍二郎氏(現TBS取締役)は、「ザ・ベストテン」のADからスタートしたというルーツもあり、 #金スマ では、以前も黒柳徹子さんと共に久米宏さんまで呼んで、#ザベストテン 特集を放送したこともあるのだが、そのときに紹介したエピソードや再現ドラマの素材もうまく再利用

40,50代はギリついていけても、30代以下にとってはリアタイ視聴経験がないであろう伝説の歌番組。今も現役の大物歌手たちの若かりし姿などで注目をひきつつ、それらを入り口に、さらに黒柳徹子さんの生い立ち、70年前の(NHK)テレビ放送開始とともにテレビタレント第一号として活躍をはじめたことなどまで遡っていく

そして終盤の質問は「今のテレビの現状をどう思うか?」

コンプアライアンスという言葉をだれも知らなかった、昭和の「ザ・ベストテン」の頃の元気で勢いのあったテレビの世界を垣間見せたうえで、スタジオのZ世代の観客たちにそもそも、家にテレビがあるか? と、中居さんが問うと、およそ1/5は「ない」と回答。

そのうえで徹子さんにこの問いをぶつける。
彼女はその状況に対して、素直に「残念」と語る。

若干二十歳のときにテレビタレント第一号としてNHKと契約し、まさにテレビと結婚し、大恋愛の末、人生を捧げ、添い遂げてきた彼女

そこで語ったのは、70年前、徹子さんがテレビの仕事をはじめるとき、NHKへ研修指導のために来ていたアメリカNBCテレビのディレクターから言われた一言。

「テレビは永遠の平和をもたらすことができるかもしれない」

私はその言葉を聞いて、テレビの仕事を通じて、世の中が平和であり続けるためのお手伝いをしたい。そう思ってやってきた。と

それに対して、中居さんは「テレビは所詮娯楽 でもひとときでも(世の中の)嫌なことを忘れさせるようなひとときを提供することが自分たちの仕事」と返していた。

ウクライナに続いて、中東と、世界各地で戦禍が広がっているキナ臭い「いま」を意識していることは明確で、徹子さんだけでなく、中居さん、大竹しのぶさんをはじめ出演者・スタッフ全体も意識的にそこと絡めての意見やメッセージを発していたと思う。

そして #金スマ  という番組はこれまでもそれを意識的にやってきた。今は亡き #大橋巨泉 さん を迎えたときもそう。わざわざ #クイズダービー をセットごと再現しつつ、巨泉さんにも今回とほぼ同じ質問をぶつけていた。程なくして、巨泉さんが亡くなってしまったこともあり、結果としてテレビへ、視聴者への遺言となってしまった。

徹子さんはまだまだ元気に現役を続けられそうではあるが、とはいえ、そう遠くない将来に退場される日はくるだろう。

日本のテレビがはじまったのは70年前、第二次世界大戦の敗戦後、連合国による占領を受けていた日本が再び独立をしてわずか一年後のこと。その歴史は=戦争のない時代の歴史でもあった。そういう意味では、徹子さんの「平和が続くように少しでも役立ちたい」という想いは叶っていたとも言える。

しかし、彼女が去ったあとの日本は? 世界は?  どうなっているのだろうか? 平和であり続けることができるのだろうか? という一抹の不安と、同時にその想いを少しでも受け継ごう・受け継ぎたいという中居さんたちの想いも伝わってきた気がした。

もちろん、テレビの世界のすみっこで働いている私も、想いは同じくである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?