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こんな世の中だからこそ、言葉より感情に向き合いたい


テレビやネットなどで多くの議論を目にすることがある。
ひろゆきさんをはじめ、どちらが”論破”できるかに注目が集まっている気がする。
どちらの論理が正しいのか。どちらの言葉が正確か。
その際、感情的な訴えは、論理的でない「感情論」として取るに足らない扱いを受ける。
はたして、本当にそうなのだろうか?
人間の言動の話にも関わらず、感情を考慮してはいけないのだろうか?
論理⇔感情の二元論で語られることが多いが、排他な関係ではないと考える。

脳科学者の恩蔵絢子さんが、認知症の母と過ごした中で感じたこと。
「言葉で言えることだけに注目して、感情を見ていない。」
コンサートに一緒に行ったが、その日の夜にはその事はもう忘れていたそう。
一緒に過ごした記憶やそれに対する言葉は、認知症の母からは出てこない。
それでも、素敵な音楽を聴いた時の感情や、抱きしめた時の喜びは、確かに存在していた。
言葉が無いからと言って存在しないのではない。無駄なのではない。
脳の領域において、言語野はあくまで一部であり、感情を司る脳領域も確かに存在するのだから。
現代に生きると、どうしても正否にこだわってしまいがちである。
そんな現代だからこそ、一度立ち止まって"感情"に向き合ってみたい。


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