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アメリカの「本家」禁酒法の知られざる実像

 緊急事態宣言の発令に際し、飲食店での酒類提供を禁止するという報道があったため、一部界隈では「現代の禁酒法か?」とざわついている。

 このような事態を引き起こした政治家の責任は重大だし、市民には風刺をする権利もある。が、禁酒法が施行されていた20世紀前半のアメリカの状況と、現代日本の状況が安直に同一視できるわけでもない。

 いわゆる禁酒法とは、1917年に可決された「憲法修正第18条」と、それを受けて1919年に可決された「国家禁酒法(通称ボルステッド法)」のことである。

 禁酒法が制定された背景には、19世紀から高まっていた禁酒運動がある。禁酒運動が盛んになった理由はいくつかある。

 まず、アメリカでは厳しい戒律を持つプロテスタントの信仰が強かったこと。また、アルコールが引き起こす病気、犯罪、虐待といった社会問題が深刻になっていたことである。禁酒運動は、売春の禁止や児童労働の禁止、婦人参政権などの社会改良運動とも結びついた。

 さらに、1914年の第一次世界大戦の勃発が禁酒運動を後押しした(アメリカは1917年に参戦)。敵国である反ドイツ感情が高まったが、アメリカの酒造メーカーはドイツ系企業が多く、攻撃にさらされることになった。

「ビール=ドイツ=敵」という図式は単純だが、現代人もそれを笑うことはできないだろう。禁酒運動は愛国主義と結びつき、ついに連邦議会を動かすに至ったのである。

 ちなみに、禁酒法では「0.5%以上のアルコールを含む酩酊性飲料の製造・販売・運搬」は禁止となったが、飲用は特に禁止されていなかった。

 つまり、法の施行前に酒を買い込み、自宅で飲むのは合法であった。金に余裕のある人は酒が飲めるが、労働者は一杯のビールを楽しむこともできない。労働者階級が不満を持つのは当然であった。

 結果、酒の密造・密売が横行し、ギャングの資金源になった。シカゴで悪名を馳せたギャングのアル・カポネは有名である。

 フランクリン・ローズヴェルトが大統領選挙で大勝した直後の1933年2月、アメリカ連邦議会は憲法修正第21条(第18条の廃止)を可決した。禁酒法という「高貴な実験」は、わずか14年で終わりを告げたのである。

 アメリカの禁酒法は、しばしば「無残に失敗した悪法」として紹介される。もっとも、私たちは結果を知っているから「無残な失敗」という評価を下せるのだ。「当時のアメリカ人はバカだったんだなぁ」という感想だけでは、学びはない。

 近年は、禁酒法や禁酒運動について、20世紀のアメリカ政治を形作った要因として、冷静に分析する研究も増えているそうだ。例えば、禁酒法とその反対運動の過程で、アフリカ系黒人やエスニック系労働者が民主党支持に流れるなど、二大政党の再編のきっかけになったという。

 20世紀前半のアメリカの政治状況から、私たちが学べることは多いのかもしれない。

(参考文献:寺田由美「全国禁酒法と20世紀アメリカ社会」、岡本勝「『高貴な実験』の終焉:全国禁酒法の廃止過程」)

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