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だがしかし、このままでは人文系学部は消されるのも仕方ないとも思う

前回、哲学を学び意義の書評記事を書いたけど、このタイトルの通り、個人的には哲学科は国立大学からなくなるのではないかとも思っている。

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先日、高校の友人と3年ぶりに電話で話をした。

久しぶり!と軽いノリで話して、彼は変わっていないように楽天的だった。

就活の話になったけど、彼は「自分のやることが世界中に広めたい」と言っていた。

彼は国際系学部の人で、海外で働くのは嫌みたいだけど、留学をしたり英語を学んだりして世界のことを知り、

最終的には日本から世界に誇れるものをつくりだしたいといっていた。

(海外から見ると、日本はマンガとか和食とか文化ばかり目立つけど、アメリカとかはそれだけじゃなくそもそもレベルが違うから、もっとすごい技術力とか世界に匹敵するからもっと世界に誇れるようにしたいって感じだったかな)


今思えば高校の時もそういう人が多かった。

みんな勉強が優秀でその中で一番をとりに行こうとする競争的、あるいは完璧主義な人が多かった。

自分なりにやってきたつもりだったが、自分の勉強論が通用せずきつかった。

昔から一人が好きで友人は少ない方だったとはいえ、今思えばなじめなかっただけだろうなと思う。

切磋琢磨できる仲間とか言っても何のことだかわからなかった。

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他の高校の友人とはほとんど連絡とっていないので知らないけど、基本的に彼らは高校の時点で自分より上を行きすぎているようにしか見えない。

裏で自分と違うベクトルに向けて努力しているだろうし、別に他人を気にするつもりないとはいえ、高校までと同様に接したら間違いなく自信を失ってしまう。

バリバリ働き学びながら必死に生きている彼らからすると、私なんかは呑気に生きているといわれるかもしれない。それでも、自分なりに必死に生きている。

だが、彼らにこんな哲学で得た話をしてみたら、どう思われるだろうか。

しかも残念なことに、今述べた思考は大学ではなく本を読んだりいろいろな大人と話したり旅行したりすることで得てきた。

「大学生」という身分の中で得たものはたくさんあるが、それらは「大学」や哲学の勉強で得たものではない。

哲学は長期的に見れば役に立つというけど、彼らとはすでに何歩も引き離されている感はある。就職後もこのまま突っ走っている人とはもっと引き離されるだろう。

別に自分はそれでもいいかなと思うけど、社会で役に立つのかと思うようになりかけている。

そんな学びを続けて成長志向の人間と私みたいに哲学的になってしまった人間、どちらが社会の中でいい人間かというと前者の方が明らかにいいと思っちゃうのも事実なんだよね。

「優しい」「真面目」「頭いい」とよく言われるが、最近はその言葉に縛られて苦しんでいるような気がしてならない。

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無理に人に合わせることはない。といっても、こう比較すると自分に社会に役立つとか意義があるのかを問う資格がそもそもあるのかわからなくなる。

もちろん哲学を学んでいる人が全員が自己中心的で意識が低いとは思わないけど、哲学は基本的に当たり前のことを疑い、それを通して自分と向き合う作業が多い。

哲学を学ぶ人ははっきり言うと変な人が多い。私みたいに哲学まがいのことを本気でやってる人間だったらもっと面倒くさい。

哲学は必要だとは思う。しかしどうもうまく理解できないし、文字にすることもうまくできない。

この悩みを大学生で得ることこそ哲学を学ぶ意義なのかもしれない。だが、それならもっと新たなことを学びたいとも思ってしまう。

4年生になって単位もほぼ取り終えると思うが、いったい何のために大学生を続けるのか、わからなくなる。

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約3週間ほど、忙しくてnote出来ませんでした。そのせいかなかなか病んでいる。

読書など学びはできているけど、肝心の哲学にモチベーションが上がらない。必修講義を最近は全然聞かなくなってきてしまった。

プライベートは悪いどころか充実してるはずなんですけどね…

ちょっと自分を休ませるべき時期に来たのでしょうか。

ちょうど最近、「哲学を学ぶ意義」系の本で良書チックな本を見つけたので、今読んでる本を読み終えたら買って読んでみようと思う。楽しみだ。


マイペースにやってるとはいえ、書かなすぎでコツを忘れたり書く気力が失せるのは避けたいので、ぼちぼち書いていきたいと思います。

そろそろnote始めて半年。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。


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