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坂の上のさかいめ|ショートショート

ざくざくっとふみしめた下柱の感触は、クッキーに似ている。
それなら冷たくて、土のような、ママが夜に飲んでいるコーヒーのような匂いがするこの空気は、クッキーの上にのったチョコレート。
おいしそうなチョコレートクッキーを想像して、息を大きくはいたり、すったりすると、あずちゃんの胸は縮んだり膨らんだりした。今、この道路脇の木のたもとは、あずちゃんのものだ。
「ママ、まだかなあ。」
あずちゃんは坂の上でママを待っていた。


今日は、坂のお祭り。
あずちゃんの家のすぐとなりの坂の一番下から一番上まで、お店がずらりと並ぶ日。
お店は屋台というもので、道路のわきにテーブルを並べて、そこで色んな品物が売られる。ポップコーンとか、からあげとか、あんずアメとか。

カンカン、カンカン。
鬼の面をつけた大人たちが、木のぼうを叩いて、坂の上から下におりていった。これもお祭りのならわしだ。
人間も鬼もお祭りが好きなのだそうだ。いつもは人間と鬼は、仲良くしてはいないけれど、お祭りの日だけは、とくべつ。いっしょに楽しもうよ、という気持ちを伝えるために、人間も鬼の格好をするのだと、あずちゃんはきのう学校で教わった。
それにしても、ママはおそい。こんなにおそくて、こんなところで一人ぼっちでいると…。
「鬼が来ちゃうよ。」
そう声がして、あずちゃんは首を右向け右した。男の子が立っていた。

男の子は、あずちゃんよりも少し背が低かった。かみの毛はあずちゃんと同じで耳の下、あごの上。前がみは目よりも少し長いくらいだ。同い年かな、とあずちゃんは思った。
名前はキキだと男の子は言った。たぶん、あだ名だ。あずちゃんだって、本当の名前はあずさという。
「本当の名前はなんていうの?」
 あずちゃんが聞くと、キキは首をかしげて考えていたけれど、やがてがってんがいったようで「青木きいち」と教えてくれた。“あおききいち”だから、まん中をとって『キキ』。あずちゃんはそれがとても気に入った。
キキはパパを待っているそうだ。

自己紹介が終わっても、やっぱりママはまだ来ない。キキのパパも来なかった。
「ちょっとそこのお店、見に行かない?」
キキが言ったけれど、あずちゃんは首をふった。
「ここで待ってなさいって言われたもん。」
「おれも言われたなあ。」
キキは残念そうにぼやく。そして石をひろって道路に絵をかきだした。

キキがかいたのは、人だった。お祭りに来ている人。お店の人。
あずちゃんも石を手に取って、そのよこに鬼をかいた。お祭りに来ている鬼。お店にまじっている鬼。道路は、にぎやかになった。
「アメ食べる?」
「私も、もってる。」
二人はもっていたアメをこうかんした。
キキがくれたのは薄黄色いアメで、レモンの味がした。あずちゃんのアメは青い色で、せつめいがむずかしい味。キキは「うまい。」とだけ言った。
二人は口の中でころころとあめをころがしながら、また絵をかいた。道路は人と鬼の絵ですっかりいっぱいになった。

まだママは来ない。いつの間にか坂の上も下もお店は出そろって、人がふえてきた。さっきまでのクッキーの霜柱はすっかり溶けてしまった。チョコレートの空気も、油のまざった風にとばされてしまった。
あずちゃんはさみしくなってきた。立ち上がって、坂の上をのぞいてみるけれど、ママのすがたはちっとも見えない。
坂の真ん中では、もよおしが始まったみたい。プロレスだ、ママの大好きな。
「もう、プロレスが始まっちゃったよ。」
あずちゃんはいないママの代わりにキキに言う。
キキも立ち上がって坂の真ん中を見下ろした。
「本当だ。見たいなあ。」
ぴょん、とキキはジャンプする。でも、ちっとも見えない。

「いいぞー。やれー。」
その時、ひときわ大きな声が聞こえてきて、あずちゃんもキキもびくっとした。
顔を赤くしたおじさんが、おばさんによりそわれながら帰るところだった。帰りながらもプロレスをおうえんしているのだ。
「よっぱらいめ。」
キキが口を尖らせて言った。
「おれは、ああいう大人にはならん。」
あずちゃんもうなずいた。

カンカン、カンカン。
鬼の面をかぶった人たちが、また坂をのぼってきた。坂の上まで来ると、今度は面をとって、人の顔でおりていく。
「一しゅう目は鬼の顔。二しゅう目は人の顔。そうやって入れかわって坂みちを行き来する。坂の上は鬼と人とのさかいめなんだって。」
キキが言った。
「鬼も人も、いつもはおたがいが見えないけれど、坂の上だけはとくべつ。だれかをまっているはずが、いつの間にか鬼は人に、人は鬼にであってしまうことがあるんだって。」
そう言うと、キキは前髪をあげた。キキのおでこはつるっと白くて何もない。

「あれ?」
あずちゃんもおでこを出した。ちょんちょんとツノが二本伸びている。 
「キキは、人間だったの。」
「あずちゃんは、鬼だったの。」
「そうだよ。」
「そうか。」
人間も鬼もあんまり変わらないんだね、とキキが言ったころ、「おーい。」とママの声がした。


「おそくなっちゃってごめんね。」
 やってきたママはあずちゃんの手をにぎる。もう、とあずちゃんは、ほほをふくらませた。
「ママったら、おそいよ。こんなところで一人ぼっちでいると…。」
『人間が来ちゃうよ。』
声が聞こえた気がして、けれどもあずちゃんがふりかえったときには、もうキキはいなかった。


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