パチンコ好きの両親のもとに生まれて

うちの両親はパチンコ好きであった。

幼い頃は私もよくパチンコ屋へ通った。もちろん打つためではない。店内放送で両親を呼び出してもらうためだ。

お腹がすいたとか誰かから電話がかかってきたとか、なにか用事ができたら呼び出しに行った。
呼び出された親に話しかけると大抵耳の遠い老人のようなジェスチャーをされた。親の耳には耳栓がわりのパチンコ玉が詰まっており、店内のBGMも大音量であるから、話しかけるには大声を出す必要があった。

勝った日には小遣いがもらえた。負けた日には何もなかった。
ちまたの児童虐待ニュースを見ていると、腹いせに暴力を振るわれたとか、車に置き去りにされたとか、そんな内容が飛び交うが、私の両親は八つ当たりをしなかったので、良心があった方なのだろう。

それにしても、パチンコが一般的な趣味の範疇にはなく、他の家庭ではパチンコをやらない親が存在する、という驚愕の事実に気がついたのは三十歳前後であった。幸か不幸かはわからない。しかし、反面教師にはなった。私はこれまでパチンコにのめりこむことはなかったし、これからも店には足を踏み入れないだろう。店内に充満するあのパチンコ玉のなまぐさい鉄のにおい、タバコのヤニくささ、ガチャガチャしたBGMは、いまでも店の前を通るだけで不快感を呼び起こし、「大人の場所に出入りしている」という緊張感や後ろめたさは大人になっても消えることがない。

金の使い道については私自身がFXで800万溶かした時点で責める権利はなくなった。ただ、自分を振りかえるとき、ずいぶん放っておかれた子供だったな、と少々寂しくなる。そんなに面倒な子供だったろうか。そんなに子育てに向かない両親だったろうか。覚えている限り、両親は平日昼間関係なく、働きに出ていない時間はパチンコ屋にいた。外出から戻ってきた親にかける第一声は決まって「勝った?」であった。パチンコをやらない親は、私の両親がパチンコをしている間どうしていたのだろう。他の趣味に投じていたのだろうか。だとしたらどんな趣味なのだろうか。友達に聞いてみたいのだが、この年になって「うちの親パチンカスだったんだけど、そっちの親なにして過ごしてた?」とは聞けない。謎である。

(了)

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