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今年を振り返ったり、『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』の感想とか、浦野すずのために西和賀町で私が何をすべきかとか

 本年は大変お世話になりました。

 昨年の秋から今年の3月まで、そして4月から西和賀町の地域おこし協力隊に着任しての9ヶ月、この一年強で、これまでの人生でもなかなかないレベルで多くの人と出会いまして、大変に面白うございました。

 せっかくなので、この一年を超駆け足で振り返ったりしてみようかと。

あれは去年の秋だったね

 昨年秋、小堀(旧姓・森)陽平氏から電話を受け、中学校の文化祭で上演する演劇のアドバイザーみたいな仕事のために、3週間ほど、西和賀町に滞在することになりました。湯田中学校の2年生と一緒に芝居を作りながら、「この子らが20歳になったとき、この町はどうなっているんだろう」と思いました。
 私が初めて西和賀町を訪れたのは2012年の夏。その春に小堀(旧姓・森)陽平氏とたまたま知り合い、町の演劇専用ホールで行う演劇の合宿制作イベントに参加したことが始まりでした。2012年以降、だいたい年に1回くらい西和賀を訪ねていたのですが、昨年秋の滞在中に、それまで営業していた店が閉まり、バスの路線が廃止になり、という変化を見て、「ありゃー……」と。それまでは町の呑気な面ばかり見ていたのかもしれませんが、忍び寄る不穏な足音を初めて感じた気がしました。
 私が初めて町を訪れてから6年。中学2年生が成人するまで6年。この子らとこの町にとって、次の6年はどんな6年になるんだろうと漠然と考えながら3週間を過ごしました。

悪魔がささやいた結果、西和賀町に引っ越す

 その3週間の間に、中学の校長先生と衝突しました。
 生徒たちを相手にしていて「はっちゃけきれないな」と感じ、保育園からずーっと一緒に育ってきていて、人間関係が固定されているのではと考えた私は、少人数のほうが私も彼らもやりやすいのではという結論に至ります。そこで、有志を集めて始業前や放課後に指導をやりたいと校長に提案しました。
 すると、話の通し方含めて激おこぷんぷん丸されてしまったのです。「まあ、どこの馬の骨ともわからないもんがわーわー言うても、そうなるか。しゃーない」と諦めたものの、むしゃくしゃは収まりません。
 むしゃくしゃしたまま、休日、私はひとりで車を走らせていました。2013年の夏に見に行った田老の防潮堤をもう一度見に行くためです。盛岡で昼飯を食っていこうと県道1号を走行中、悪魔が耳元でささやきました。「引っ越してしまうがよい。ククク」

 ??????

 悪魔いわく「中学校の校長とケンカするなんて、東京にいても経験することはないぞ。ククク」と。一理あります。「西和賀町は人口減ってるぶん、好き勝手にやれることが多いのではないか。ククク」と。一理あります。「そもそもキサマは東京に居たくないのではないか。ククク」と。大正解です。

 私は2014年の4月から東京に住んでいました。仕事はフリーのライターで、雑誌やウェブメディアの編集部から仕事をもらって、主にインタビューをもとに記事を書いていました。が、ぶっちゃけ、飽きてました。
 特に最後の2年ほどはベンチャーの求人記事を手掛けることが多かったのですが、あいつら、いい話ばっかりしよる。もういい話は聞き飽きたのです。いや、いい話を聞くだけならまだ面白いのですが、いい話を記事にするのが飽きてきたというか。そして、記事にするのがダルいのであれば、ライターとして成立しません。

 それから、2020年にはおぞましい東京オリンピックがあります。私は日和見主義的個人主義的無政府主義者なので、オリンピックみたいな国家的な行事に対して、骨折するくらいの勢いで心の中で中指を立てています。オリンピックでいつも以上に混雑するなか、仕事のために都内を移動するなんて、正気を保てません。
 そもそも、満員電車に乗るたびに、奴隷根性が染み付いたブタどもに吐き気を催す体質です。非人道的扱いに気づかす、日銭を求めるばかりで決起しない人間の集まりである東京の下層社会で暮らすのは無理があります。オリンピック関係のテロも本気で心配しています。

 さらに、当時は付き合っている人もいません。子どももいません。「仕事のために東京にいる」と割り切っていたので、わざわざ恋人を作ろうとも思っていません。東京のどこの馬の骨ともわからないやつらと知り合いになるところから始めるくらいなら、芝居がやりたいときには友達のいる京都でやろうと考えて、実際にそうしていました。

 つまり、東京にいる意味はないのです。そして早く東京から脱出したいという私の心のスキマに悪魔はつけ込んだのです。

 しかも西和賀町でなら、これまで散々聞いてきたビジネスのコツを実践して、ただの知識ではなく実業として結実させられるかもしれない、なぜなら競合がいないから! 人が少ないから! 過疎、バンザイ!

 どうでもいいけど、つけこんできた悪魔がシャドウミストレス優子だったらよかったのに。

来年は喫茶店をやる

 閑話休題。

 とりあえず、3週間の芝居づくりが終わって、中学生たちの本番が終わったときには、引っ越すことを決めていました。東京に戻る前日、町内の友人たちが慰労会を開いてくれました。そこで「引っ越そうかと思っている」と話すと、「おお……」「とうとう気が触れたか……」「かわいそうにのう……」「むごいことじゃ……」「やめなされやめなされ……」と歓迎されました。

 それから3月まで、東京と西和賀町を往復しながら、具体的に何をやるのかを考えました。仲間内で話すうちに「とりあえず地域おこし協力隊じゃね?」ということになり、「協力隊っつっても何やるよ?」ということになり、「今、協力隊を募集してるなかでは一番のオススメは農業振興課だ」ということになり、「なんでよ?」となり、「多分、一番好き勝手にやれる」となり、「よし、じゃあそうしよう。農業のこと何もしらんけど」となり。

 晴れて4月から西和賀町役場の農業振興課に所属する地域おこし協力隊となったのでした。ちゃんちゃん。

 で、4月以降、「町のなかだけ相手にしてたらすぐに行き詰まるな」と考え、町内だけでなく、町外にもあちこち出かけ、出会い、を繰り返しました。しかし、私の本性は人見知りですし、家の中でネットを見てるのが一番幸せな人間なので、とにかくたくさんの人に会ってみるというシーズンは一旦お終いにしようかと思っています。新しい人に会うとか、あまり知らない人と話すというのは、道を開いてくれるという実利もあるし、楽しいことではあるのですが、一方で疲れるものなので。

 じゃあ、次のシーズンは何をするのかというと、自分の事業を立ち上げて回すことに注力しようと。

 私が勝手に設定した農業振興課の地域おこし協力隊としてのミッションは「田舎でシェアハウス」事業創設と、農業・6次産業を通じた関係人口創出です。
 なんで農業振興課がシェアハウスなんかやるのか、世界で80億人くらいが理解できないと思いますが、そういう回り道にしか見えないやり方こそが新規就農者獲得と農業振興につながるのです。
 西和賀町は1年の半分は雪に埋もれているので、フツーに生産して、フツーに売るだけの農家は早晩立ち行かなくなるのではないかと私は考えています。
 そこでちゃんと稼ぐためには、フツーより高く売るとか、フツーじゃない売り方をするとか、今までにない発想が必要になります。今までにない発想が町のなかにないなら、外から連れてくるしかありません。
 しかし、フツーに「西和賀で農業をやらないか」と言ったところで、そもそも知られていないし、そもそも半年雪に埋もれてるし、農業にアンテナを立てている人ほど、もっと条件がゆるいところで農業を始めようとするでしょう。

 「農業をやりたい→西和賀町がよさそうだ」という発想が世の中にほとんどないのであれば、むしろ「西和賀が気に入った→町で暮らすために農業でもやってみるか」という流れを作るべきではないでしょうか。
 私は「異業種から入ってきた人のほうが、農業でのよりよい稼ぎ方を自由に発想できるのではないか」という仮説を立てていますが、農業と無縁だったけど、西和賀町での仕事として農業を選んでもらえたらいいじゃないかってことです。

 じゃあどうやって西和賀町を気に入ってもらい、西和賀町で生活する実感を得てもらうか。そりゃ、西和賀町で実際に暮らしてもらうしかないでしょう。
 しかし、西和賀町にはマンスリーマンションはないし、不動産屋もないので、どこに住める場所があるのか、町外から見ても、まったくといっていいほどわかりません。気軽に「ちょっと田舎で過ごしたい」と思っても、それを受け入れる土壌がまったくないのです。
 ないんだったら作ったろうやないか、ひと月単位で申し込めるシェアハウスをやったらあ! というわけなのです。都会に疲れた人や、丁寧な田舎暮らしをしてみたいという人、どんな人でもいいんですが、この町で試しに暮らしてみるうちに、私と同じように、耳元で悪魔がささやくかもしれません。

 この時点でかなり素晴らしいアイデアだと思うのですが、ただ、単にシェアハウスをやるだけでは訴求力が弱すぎるなと思っていました。思い悩んでいるうちに出会ったのが「リノベーションまちづくり」という考え方です。

 西和賀町のお隣の花巻市でも取り組まれている「リノベーションまちづくり」ですが、ざっくりいうと、「遊休資産を活用して、民間が中心となってリノベーションを行い、まちに活力を取り戻す」というものです。
 「リノベーションまちづくり」という概念に出会う前から、「西和賀町の温泉街でも、空き物件に地域おこし協力隊をぶち込んでゲストハウスなり、飲み屋なりやらせるべきだ」と私は叫び続けていたのですが、叫び声は虚空に消えていくだけでした。
 「リノベーションまちづくり」と出会い、また、最近、湯川という西和賀町の奥座敷的温泉街から、JR北上線の駅が近い上野々(うえのの)に引っ越してきたこともあり、「俺が駅周辺で西和賀町版のリノベーションまちづくりを主導してやるぜ、ククク」「シェアハウスもリノベーションまちづくりの一環に位置づけてやるぜ、ククク」「ついでにリノベーション物件で喫茶店をやってやるぜ、ククク」と構想が発展しつつあります。

 「田舎でシェアハウスするの面白そう」に加え、「リノベーションでいろいろ新しいお店とか空間とか作ろうとしてるなんて面白そう」「こんな田舎にこんな喫茶店があるなんて興奮する」という、三位一体、トリニティ。完全無欠で完璧です。

 ほかにもいろいろやろうとしていることはありますが、関係者が多すぎて進展が遅すぎるため、かなりストレスフルな一方で、喫茶店は自分で金を出して物件をリノベーションしさえすれば、地域おこし協力隊の定時以外で取り組めます。
 メニューはブレンドコーヒーとチーズケーキのみ、カウンターのみ8席、全席喫煙席、読書とPCでの作業のための空間、という町にない喫茶店を現在は構想しています。まずはひとりで始めて、時給1000円で人を雇えるところまで持っていくことが目標で、「田舎でシェアハウス」のトライアルに合わせて、来年4月には開業したいところです。
 これが軌道に乗れば、軽食メニューを増やし、喫煙席以外も設置し、さらにはほかの空き家にも食指を伸ばして、徐々に町を裏から支配していきたいと考えています。そんなわけで、来年は世界支配のための第一歩、とても重要な年です。そういう意味でも、「とにかく人と会おう」からは脱却しなければいけません。

映画『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』を見て

 ここから突然、映画『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』の話になります。見てない人は帰ってんか

 最初に読んだこうの史代氏の漫画は『夕凪の街 桜の国』で、原作の『この世界の片隅に』はたしか、単行本が発売されるたびに買っていたように記憶しています。唐突な古参アピール。すずさんと結婚したい。
 2016年の年末、吉祥寺の映画館で『この世界の片隅に』(以下、旧版)を見ました。期待値の高さから、前情報をシャットアウトして見にいった結果、のん氏の演技にしょっぱなからノックアウト。そして、映画館で初めて号泣しました。すずさんと結婚したい。
 しかし、旧版は、原作のある部分を大胆にカットしていました。制作予算の都合上、仕方のないことだとしても、私は正直、「これはどうなんだろう」と思っていました。すずさんと結婚したい。
 今回も前情報なしに『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』(以下、新版)を見て、カットされていた部分がちゃーんと収まっているのを見て、また号泣してしまいました。すずさんと結婚したい。
 この映画のどんな部分が気に入ってるとか、どんな部分が素晴らしいかは、これまで散々語られていることなので、全体のことは触れませんが私なりに感じたことを。すずさんと結婚したい。

 主人公である浦野すずは、ぼんやりした人です。戦中にあって、「男子を産むのはヨメの勤め」と言いながらも、他人にツッコミを入れられるとすぐにうろたえるくらいです。
 そのすずが、1945年8月15日に玉音放送を聞いて「まだ左手も両足も残っている、まだ戦える」と激昂します。私はそれが本当に悲しい。ぼーっとしていた彼女が、そんなことを言ってしまうのです。
 敗戦2ヶ月前の6月、彼女は一緒に歩いていた姪を時限爆弾で失います。爆弾はすずの右手も吹き飛ばしてしまいました。そのことが彼女を戦争へと駆り立てたのではないかと私は思います。その前から、彼女ももちろん戦争の当事者ではあったけれども、姪の命と自分の右手というサンクコスト(取り返しようのない投資)を思わぬかかたちで支払った結果、引っ込みがつかなくなったのではないか、と。
 彼女のなかで戦う決意が固まったのは、その後の空襲で、家に落ちた焼夷弾を消火したときなのだろうと思います。そのときすずは劇中で初めて絶叫し、気が狂ったかのように転げ回ります。夫である周作から「家を守ってくれ」と言われていたことももちろんあるのでしょうが、「これ以上、損失を出したくない」「損失を出させようとするやつは敵だ」とすずは考えたのではないでしょうか。だから、この叫んで転げ回るすずも、私は見ていて本当に悲しいのです。原作以上に映画版のこのシーンは悲しい。

 8月6日にはただならぬ光と衝撃波、そしてきのこ雲を山の向こうに見ます。実家のある広島が新型爆弾で壊滅したという噂が流れてきます。サンクコストはますます積み上がります。
 米兵が目の前にいたとして、すずが竹槍で兵士を突き刺すとはとても思えませんが、それでも彼女が漠然と「敵と戦う」決意をしていたことが玉音放送のシーンでわかります。それがあまりにも悲しく、つらい。
 玉音放送を聞いて激高したすずは家を飛び出しますが、彼女はまず、なくした右手のことでも、姪のことでもなく、「裏切られた」という思いから涙を流します。多大な犠牲を払ったからこそ、逃げ出したいと思うと同時に、絶対に負けたくないと思っていたのに、戦争は終わってしまった。それが悔しくてしかたない。だから泣く。
 とてつもなく優しいすずでさえ、そんなことになってしまうのです。戦争とは恐ろしいものですが、加えて、そうなってしまうからこそ、すずもまた、特別な人間ではなく、ただの人だということがよくわかります。

浦野すずはどうしようもなくただの人である

 もっとも、すずはぼーっとしてはいるものの、とても鋭い人です。「あれ? あれれ?」と積み重なった違和感から、たまたま知り合った女性と夫との関係について思い当たるくらいです。
 現代に生きている私から見れば、「その戦争で勝てるなんて、みんな思ってなかったんじゃないの?」と思ってしまうのですが、彼女は薄々、その戦争の矛盾に気づいていたような節もあります。(特に映画版では顕著。)
 そんな鋭さを持っているからこそ、彼女は白木リンと夫の関係について懊悩することになったわけで、その部分をごっそり切った旧版について、私は不満だったのです。
 あ、新版で、すずが周作の手帳の裏面を確認するシーンは非常によかったです。あのシーンは「どこにでもいる人間・浦野すず」を象徴するものだったと思います。焦りや混乱や嫉妬や、いろいろないまぜになった、ぐちゃぐちゃの人間です。すずさんと結婚したい。
 原作はこうの史代氏の持ち味もあって、あらゆることが比較的淡々と描写されます。焼夷弾を消すシーンについても、手帳を確認するシーンも、結構淡々です。
 原作が、浦野すずがただ優しいだけじゃない、どこにでもいる人であることを淡々と描く一方で、映画のほうはもうちょっと踏み込んでいます。だからますます、浦野すずが特別な人ではなく、ただの人であることがわかります。

 なんというか、普通の人の、普通の営みというのは、とても尊いものだと私は思います。だいたい、私が作る芝居だって、普通の人の、普通の営みしか書きません。突拍子もない出来事で英雄になる人間に私は興味ないのです。
 そして戦争になったとき、この国は多分戦闘以前のオペレーションでまた大ゴケをやらかすと確信しているので、戦争に賛成するはずがありません。そもそも開戦前から「やったら負ける」と意見が出ていたにもかかわらず、いろいろ理由をつけておっぱじめ、いろいろ理由をつけて敗戦を先延ばしにするのがこの国の前身なのです。
 戦争も進化していて、先の大戦のような総力戦は起こらないという話もありますが、日本だけは謎の総力戦を始めそうで、とても付き合ってられません。あの浦野すずさえ狂わせる戦争に、私が狂わないわけがないので、いざ戦争ということになれば、無関係を決め込めるところまで逃げなければいけません。

 とまあ、そんなふうに思っているのですが、翻って少子・高齢化と財政硬直化が結構なところまで進行している西和賀町の現状を見るに、もはや「開戦前夜」なのではないかと感じることがあります。公共サービスを縮小せざるを得ず、住む場所を自分で決められないようになれば、それはもはや戦争と同じなのでは、と。
 西和賀町の場合、冬場の雪があり、除雪しなければ一般的な生活を送ることが難しくなるので、住む場所が限定される未来は、より一層現実味を帯びています。

 ここで、冒頭に話は戻ります。

 昨年、一緒に芝居を作ったあの子らが成人になるまでに、私はこの「開戦前夜」の状況を脱したいし、まして「戦争」に突入するのは避けたいと思うわけです。
 そのためには、平和的に稼がなあかん。とはいえ、稼ごうと思ってない人を無理に巻き込むこともないのかと思います。町民みんなが「稼ごう」と思っている町は、それはそれで異常なので。西和賀町にも浦野すずがいるなら、ぼーっとしててくれたほうが私にとっては幸せなので。
 かつ、「戦争」に突入しそうなら、「戦争」を回避できる立場にならなければいけないと思っているので、まず私自身が稼げる人間にならなければいけません。それも、負けが込んで、サンクコストを取り返そうとして自分が狂ってしまわないように、「戦争」にのめり込まないように、十分稼がなければ。
 だから、そもそも、地域おこし協力隊を卒業した時点で、十分稼げて、なおかつ事業を発展させられる見込みがない限り、私は西和賀町に住み続けないようにしようと決めています。
 それだけの準備ができなければ、そのときは潔く東京なり、大学時代を過ごした京都なり、実家のある鹿児島なり、ほかのどこかに行くなりして、「戦争」と距離を置こうと考えています。
 私は日和見主義的個人主義的無政府主義者なので、戦争回避のために汗をかくことはよしとしても、一兵卒として戦争に飲み込まれるのはごめんですから。

 時折、町の人から「3年後、協力隊の任期が終わったあとの仕事はあるのか」と聞かれることがあって、心配してくれていること自体はありがたいといえばありがたいのですが、「3年後が心配なのは西和賀町のほうじゃないないですかね」と返しそうになります。
 私はどこであっても、どんな仕事をしても生活していく自信があります。ぶっちゃけ、地域おこし協力隊として「成功」できなくても、「地域創生の現実を知っているライター」という専門性が、ライターとしての仕事の単価を上げてくれるだろうとすら思っています。
 そういうことを考える人間は、浦野すずのように優しい人間でいることは無理なのです。ならばせめて、この世界のあらゆるところにいる浦野すずが、大したことないことに一喜一憂する生活を送れるように、この3年間くらいはちょっと頑張ってみるかと思っている次第です。

 私ってば、なんて素晴らしい人間なんでしょうね。自分で書いててあまりの素晴らしさに卒倒しそうです。

 そんなわけで、来年もどうぞよろしくお願いいたします。

唐仁原 俊博 a.k.a. 西和賀町のやべーやつ / とうじんばら としひろ
岩手県西和賀町 地域おこし協力隊 / 演出家 / エンハンサー / エンチャンター

大学生・怠惰な生活・演劇の三足のわらじで、京都大学を10年かけて中退した、元フリーランスライター。ほんとは大してやばくないけど、最長3年の任期をフル活用するためにも、やべーやつを名乗ることにした。
ほんとに大してやばくない。

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