記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

「オカンといっしょ」感想/”普通”と家族

○前置き

始めに、今回も以前私のインスタに載せた感想から始まります。こちらもポエミーな感想だったので改めて書き表す事にしました。
この本は、ツチヤタカユキさんが元々文春オンラインなるサイトで連載された同作(残念ながら元サイトでは閉鎖済)が書籍化されたものです。

〇色鮮やかなる彼が生きていた世界

前作『笑いのカイブツ』もでしたが、今作もツチヤさんの生きていたというよりも駆け抜けてきたエピソードがどこまでが真実なのかどこまでが虚像なのか不明だが刺激と疾走感で織り込まれています。ただ、前作はそれらが濁っていたのに対して今作はそれらが鮮明にハッキリとして透き通っているのが特徴です。透き通りながらも、前作のような強烈なエピソードが私の中にヒシヒシと伝わっていました。前作では彼の笑いに対するエピソードを中心に展開されていましたが、今回はそれ以前からそれ以後までの日常が書き連ねてあったのです。

 前作も今作もですが、私は読み始めるとどうしても止まらなくなりました。喩えるなら、身を焦がしても天に向かうイカロスのように、彼の手をどうしても触れたくなったのでした。その薄っぺらくない灼熱の太陽みたいな物語がそこにありました。

●近くて遠い親子

話は今作の内部に進めます。読んでいくにつれて見受けられるのが、ツチヤさんと彼の母親の間にあるズレです。
 彼は世間体よりもずっと自分の中の信念に取り憑かれていて、彼の母親は世間体を大事にしながらもどうしても止まらない「女の性」がありました。そして、彼ら親子は「金銭的余裕」がなくてまた「安心」もありません。彼は幼少期で大事に時に母親がそばにいなかったことを「寂しい」と感じていました。その母親は彼のために献身的にもなるが「女の性」による「寂しさ」は彼では埋められず、「男」をなりふり構わず求めてそれが長続きしませんでした。それによる彼の中の鬱憤が積もりに積もって噴出し彼と母親は衝突することもあり、鬱憤は彼が自分の信念を汚された時にも現れてしまいました。

 彼の母親にも自分の業に後ろめたさはあったかもしれませんが、それを許してくれる環境下ではありませんでした。私としてはその環境で生きるのは決して「自己責任」だけではないと考えます。
積もる話、彼らは「近くて遠い親子」でした。ドキュメンタリー番組でも取り上げられたように今もそれは続いています。

 そして、彼ら親子の生きている環境は私の生きている環境に比べて具体的には上手く言えませんが何かが欠けています。「治安」なのか「豊かさ」なのかそんな型にはまった言葉では言い表せられない程です。こんな世界にも人々は毎日を過ごしていることは大事で、彼らを見捨てるような人間でなくて良かったと私は思っています。遠い世界の話ではない、この国にあるんだよと叫び続けたいと考える程にそれが彼ら親子の「普通」でした。

 私はツチヤさんとは違いそれなりの豊かな環境下で生きていましたが、一般社会に溶け込められていない。もし、溶け込めていたとしたら彼に「自己責任」を突きつけていたのかもしれませんね。それは、その世界で生きる人の悩みはその世界で他に生きる者にしか共有し合えないからです。仮に、私の友達がある事で悩んでいるとして私の答えが「そんなの他にもいるよ」や「大丈夫だよ」などと理解しようとしない安っぽい言葉を吐くだけで完結します。そのような人間にはなりたくないですし、本当に彼の生き様から逃げようとしないのでそれだけは守らなければならなきゃいけません。でも、なんだか「普通」なんて言葉が安っぽく感じているのは物悲しいとも感じています。

でも、このような事は考えてしまいます。もし、彼の幼少期に物凄く希望になる出会いがあったならばという空想です。確かに、それはそれで彼は幸せになるかもしれないが、それは作中で述べられたもう一つの世界の彼になりうることもあります。作中にも書かれた内容と関連しますけども、その彼は今の彼を見向きもしないでしょう。この今を大事に出来なかった侘しい感情は私の中にもありますが、今を大事に出来るような人間でないと前には進められません。
 未来なんてあっという間に過ぎていくからです。

●怪人だった彼を救った者

大人になってからのツチヤさんは自分自身を「ヒーローに倒される運命の怪人」と喩えた時がありました。私はそのような特撮番組が好き(今は諸事情で休止中)なので、今の特撮の「怪人・怪獣」はただ倒されるだけではないと存じていますけれども、それが伝わるのは私のようにその造詣が深い者共に留まるばかりです。もう、特撮番組が始まって50年以上経っていますが、今も世間には昭和の古典的ヒーロー番組像がこびりついています。でも、そうでないと説明過多になってしまうからという懸念もあるだろうと感じていますが。

では、そのような彼を救った「ヒーロー」は誰だったのでしょうか。それは作中最後に登場したツチヤさんの父親でした。彼は父親との思い出がなく、母親から父親の異様な空気が漂う昔話を彼が幼少期に語っていました。そのくらい彼と父親とは遠い関係性だったのはヒリヒリと私の方が情けないと感じていました。その出会いが彼の中に溜まっていた心情は少しは癒されていたと見受けられる、それは彼の母親もでしょう。

 でしたが、彼と父親の空白の期間はそう簡単に埋まるとは思えません。父親がずっとそばにいたらこの母子はより「安心」出来たかもしれないです。でも、それは先に書きましたもう一つの世界の親子です。苦しんでいた分をチャラには出来ませんが、それでもこの世界で生きていくのが今を大事にする最適な方法なんだと考えております。「普通」に押し込める同調圧力なんて、今は一蹴しましょう。

 しかし、前作の感想文にて私は「魂からの友」がいるべきだったと記述していました。これは「真の横の繋がり」でして、今回は「真の縦の繋がり」です。前作にて書かれてありました「あの方」は後者として彼に届いたのでしょうか。

話を戻しまして、大人になったツチヤさんが父親と再会するまでは前作のような人生を歩んでいたのですが、それで大成は出来ず、初恋愛にも失敗していましたし、今を大事に出来ない時もありました。それを過ぎて、ある時に自分の人生がこの世界の主人公にならないでもいいと言う一種の呪縛から解かれます。私も夢を抱いていて、大学は卒業出来ても自分にそれが叶えられないと悟った事があります。前作では母親からでしたが、今作は父親からでした。
呪縛が解かれるのは悲しみもあるが解放感もあります。呪縛に囚われて命尽きるよりも、解呪されて生きていく方が私も受け入れられるのです。命絶つのが悪い事とは断定しませんが、あくまでも私のスタンスはそちらを選択しています。

〇後書き

今回は今までのような自分語りを控えめにしてあります。今まで書き留めていたのを、読み返していると自分語りが恥ずかしいし、読みづらいと思ったので改めました。どれが正しいのか分からないけど、今回はそれを試しています。このことについて、よろしかったらコメント欄に書いてほしいです。

 他にも、ツチヤ氏絡みの著作やライブについて語りたいと思うが自分の中で整理がついていないのでもしかしたら年明けになるかもしれません。それにつきましてはご了承ください。
最後に、ツチヤさんのライブで頂いた彼のサインを載せて置きます。前作のもありますが、それは私にとって大事な宝物です。


この記事が参加している募集

読書感想文

サポートお願いします!投稿の励みになります! あなたの価値を私は深く受け止めます。