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本気で喧嘩して反抗したから分かったこと。

こんにちは。
毎日自宅警備員を勤め続けているお陰で、週に一回会も会わないこともざらな父に毎日必ず遭遇している東です。

基本父は朝5時に家を出て18時に帰宅し20時には寝るのに対して、僕は9時に起きて22時に帰宅し、25時頃に寝るので当然会うはずもありません。

なので会うとすれば父の仕事が休みである日曜の朝ぐらいです。今でこそ会えばおはようから何気ない会話を繰り広げている親子ですが、一昨年の今頃はそうもいきませんでした。

今日はそんな父との忘れがたい思い出とそこから分かったことについて書いてみようかと思います。

※あ、冒頭にもある通り父は健在ですよ!(笑)

それではどうぞ!!

遅すぎる反抗期

大学2年生にして人生初の反抗期が来た。

事の発端は僕が急遽決断した、1週間フランス1人旅。

当時フランスではしばしばテロが起こっていたほか、僕自身初の海外旅行といったところで両親が心配しないわけはなかった。(そもそも一人っ子ということもあり父はとてつもなく過保護)
また、父はアパレルというものに対して「そんな職業は大学に行った人間がつくものではない」と偏見をもっていたため、よりアパレルへの興味を助長するフランス旅行には絶対に行かせたくなかったのだ。

ただ当時の僕は兎にも角にも洋服の聖地であるフランスへ行ってみたくてたまらなかったほか、周りの人たちにもフランス行く宣言をしていたため、どうしても引き下がるわけにはいかなかった。

1か月にわたる激闘の末、ついに父が根負けしてくれたお陰で、僕の
フランス1人旅が決定した。

当時『この一週間を通して少しでもファッションを理解し、お洒落になってやる!』と意気込んでいたことをよく覚えている。(今でこそ思うが、1週間でお洒落になれるわけがない。)

その翌日、僕は旅行会社へ行き、1週間のホテル代と飛行機代、計25万を支払った。

忘れていた自分の性格

1か月後、日本出発当日。僕の意気込みは2つの要因によってはるか彼方に消えていた。

1つ目は台風。前日からの予測通りとてつもない勢力で、ばんばんフライトがなくなっていった。当然僕が載る予定だった飛行機もなくなる可能性は十分に高く最後まで気が抜けない状態だった。

2つ目は性格だ。僕はすっかりフランスに舞い上がっていたが、そもそもは根っからビビりなのだ。故に出発日が近づくほどに1人でフランスへ行くのが怖くなり、当日はいよいよ関空の近くの駅まで友達に見送ってもらった、、、。(飛行機に搭乗するまでも中のいい友達にLINEしまくって気を紛らわせていた)

結局のところギリギリ僕の便は飛ぶことが決まり、無事フランスへの切符をつかんだ。(内心、いっそ飛ばない方がいいんじゃないかと思っていた。)

飛行機が離陸する瞬間、あまりの豪雨と暴風に思わず祈るような体制をとっていた僕を、隣のラブラブな日本人カップルが白い眼で見てきたことをよく覚えている。

そんなカップルをしり目に睡眠と映画を繰り返し続け、5本目のアナと雪の女王が終わろうとしていたところで12時間半のフライトが終わった。そういえば結局どういうエンディングだったんだろうか。

フランス生活の幕開け

ただフランスについてからも”安心”は全くできなかった。

あまりに広すぎて出口すらわからない空港、実銃をもってうろうろしている警官、エラーを起こしてホテル近くのラブホテルにいざなってくるグーグルマップ、そしてしまいには手にミサンガを巻き付けようとしてくる集団。

明日から1週間ホテルに引きこもってやろうかと本気で悩むほど外に出るのが怖かった。

ただここまで悪いことが起きたならもう悪いことはないだろうと気持ちを切り替え、2日目の朝を迎えた。

その読みはおおむね的中し、悪い出来事を吹っ飛ばすほどの最高な出来事がたくさんあった。

(※ちなみにその後は、エッフェル塔の近くでおばさんに追いかけられたり、凱旋門近くでスリにパスポートを取られかけたり、またまたミサンガを手に巻き付けられそうになったり、挙句の果て手には関空が水没し帰りの便が博多着に変わるなど、今思い返すとまあまあ悪いことは続いていた。。。)

一生の思い出

最高な出来事の最たるものがこの二枚の写真だ。


画像1

1枚目はA.P.Cで撮影して頂いた一枚だ。

当時の僕は空前のA.P.Cブームで、本当に好きでたまらなかった。故にお店でも片言の英語で必死にA.P.Cへの思いを語っていたところ、非常に喜んでくれて、購入した商品をこの限定のピンクのバッグに入れてくださったのだ。

その後もフランスの名所や、おすすめスポットを教えてくれたほか、僕の一つの夢だったお店の前で写真を撮るということにも快く答えてもらった。
(はい、チーズでこのポーズをとれるあなたはパリジェンヌでしょう。)

画像2

2枚目はミニマーケットといって、日本で言うコンビニで撮影して頂いた一枚。

フランスでは水道水が飲めないため、ホテル近くのこのお店でいつもミネラルウォーターを購入していた。日本に帰国する前日、このお店にもお世話になったなと思いドリンクを3本買った。自分の分と店主とバイトの方の分だ。

ここでも片言の英語で、「実は日本から旅行で来ていて、明日帰国する予定なんです。一週間お世話になったので、もしよろしければドリンク飲んでください!」と言った。


すると店主は「やっぱり日本人だったのか!僕実はすごく日本のことが好きでね、いろいろと調べてみてるんだけどまだ行ったことが無いんだよね」と話を続けてくれ、最終的には「この棚にあるものなんでももってかえりな!」とそこら中にあるものをプレゼントしてくれたのだ。

この他にもあまりに美味しすぎて三日連続通ったレストランや、ふらっと立ち寄ったアパレルでも本当にたくさんのサービスをして頂き、あれだけビビりの僕が最終日にはここに住みたいと思うほどだった。

未だに黄色人種への差別があるというフランスで、何が僕をここまで幸せにしてくれたのかと考えた時に行きついた答えがある。

結局父親は偉大らしい

それが”挨拶”と”感謝”だ。

フランスではお店などに入店する際に、消費者側から挨拶をし、退店時には感謝を伝える文化がある。僕は事前に下調べをしている段階で、偶然にもこのマナーを見つけたため、フランスでは必ずいつでもどこでも行っていたのだ。

ただ、まさかフランス旅行でこの2つの大切さに改めて気づかされるなんて、思ってもみなかった。

でも確かに挨拶や感謝をすることは万国共通だし、信頼関係を構築していく上での第一歩になるよなーなんて思いながら風呂に浸かっていた時に、あることを思い出した。

父からの教えだ。

「勉強や運動ができなくたっていい。ただ、海登これだけは覚えとき
なさい。挨拶と感謝は絶対に誰にでも行いなさい。そして友達を大切に
しなさい。」

父さんが言っていたことが一番大事だったんだと改めて気づかされた。

それからというもの今まで以上に挨拶と感謝を心がけているのだが、駐輪場のおじさんや通学中に出会う知らない会社の警備員の方、清掃のおばちゃんやアパレルの販売員など...本当に数えきれない人たちと仲良くさせて頂くことができている。

本当に小さなころから躾けてくれたことを感謝するばかりだ。

日本に帰ってすぐ、両親の前でこの話をした。

気づいたらフランスでの心温まる出来事や、これまで育ててくれたことへの感謝などが入り交じり、滝のように泣いてしまっていたが、決して笑わずに最後まで聞いてくれた。

それからというもの、父とは稀に言い合いにはなるものの、互いの考えを認め合ったうえで話すことができるようになった。

あとがき

父さんへ。

一昨年の反抗していた自分をぶん殴ってやりたいほど、父さんには感謝しています。

沢山感謝したいことはあるけど、今日は一つ。
それは挨拶と感謝を徹底してくれたことです。

小さい頃は今以上に馬鹿だったから、とりあえずルールとしてやっておこうくらいに思っていましたが、年を重ねるごとに本当に大事な行為だったんだなと気づかされています。

「勉強しろ。」でもなく、「スポーツしろ。」でもなく、「挨拶と感謝は絶対にしなさい。」「友達は大切にしなさい。」というこの2つを教えてくれたことを本当に感謝しています。

お陰様で自分の強みの一つが『挨拶力だ!』と胸を張って言える程の武器になっていました。

反面教師で煙草もパチンコも一切やらない男に育ちましたが、どうにもカップラーメンだけははまっちゃいました。

また母さんにバレないところでセブンイレブンの中華麺でも食べましょう。

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