自分を認めることが個性の第一歩。
「あの人めちゃくちゃ個性的で…」
「最近であった人のキャラがめちゃ濃くて…」
僕はこの個性とかキャラという言葉が、あまり好きではなかった。なんなら今も引っ掛かるときがある。
なぜなら自分が個性的とも思わないし、特別なキャラクターだなんて思わないからだ。
だからそんな風に言われてる彼らのことを僻んでいる時期もあった。
真面目くん
中学校へ入学するタイミングで親から「真面目にしていないと中学校は卒業できない」という言葉をかけられた。
今考えてみれば中学校は義務教育。よほど何かしない限り卒業できないなんてことはあり得ないわけだが、当時の僕はこの言葉を鵜呑みにした。
入学して最初のホームルームで真っ先に代議員(学級委員長)に立候補し、部活は科学部に入部。おまけに最初の英語のテストで100点を取った。
真面目が一番と妄信していた僕はこれでいいと思っていた。でもぜんぜんよくなかった。
クラスの皆からはくそ真面目な奴と思われて、勉強以外の話は全くできなかった。楽しそうな話題があっても、あいつは真面目だからと輪に入れなかった。
ほんとはそこまで真面目でもないし、馬鹿なことを言ってる方が好きなのに、そこから一気にキャラ変をすることがもっと怖くて真面目キャラを演じ続けた。
高校受験の意思決定
そんなキャラを変えたくて、高校進学の選択基準を
①あまり知り合いがいない
②偏差値がそこそこ高い(いじめのトラウマで人に馬鹿にされるのが嫌いだからせめて平均以上でいたい)
③特殊な学科(総合学科に行きたいということで、他の高校を勧められるリスクを回避)
という三つにしていた。(親や先生には②と③を組み合わせて、総合学科にとにかく行きたくて、その中で一番偏差値が高いのが観音だから観音に行きたいと言っていた。)
でも結局のところ一定知り合いがいたこともあり、中学と同じような末路を迎えた。
結局真面目くん
だが大学は違った。というよりも大学は絶対に同じ思いをしたくないと強く思っていたから自分に誓った。
変にキャラを作らず、自然体でいると。
その結果、本当にこの大学生活ではありのままで過ごすことができた。
かくして楽しく心地よく過ごしていた4年間で気づいたことがある。
それは結局真面目であることは変わっていないということ。
あれだけ真面目キャラでいることを嫌がっておきながら、自然体でいても変わらず真面目だったのだ。
その裏付けに就活をしていた時に、大学の友人に他己分析をしてもらうと、ほぼ100%の確率で真面目という言葉がでてきたのだ。
真面目も個性。
僕は長い間、まるで自分が悲劇のヒロインかのように捉えることで、自分自身が真面目であることを認めようとしなかった。なぜならそれが無個性を表すと思っていたから。
でもそうじゃなかった。人から信頼してもらうためにも、真面目さを常に貫くことが僕の個性だったわけだ。
つまるところ何が言いたいのかと言えば、ありのままの自分を受け止めて理解すること。それが個性を知ることであり、個性そのものなのではないかということだ。
だから僕はこれからも真面目を全うするし、信頼を大事にし続けるつもりだ。そうやって極めていくことがきっと本当の個性になるはずだ。
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