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「物には言い方というものがあるだろう」〜坂本龍一さんの死に思う〜

少し年上のお兄様たちが奏でる音楽のカッコよさに、一時期夢中になった世代です。
ライディーンが大好きで、『SOLID STATE SURVIVOR』はもちろん買いました。アルバム、押し入れに眠ってるかな。

子供の頃は、有名な方が亡くなっても、どこの誰だか、何をした人かもわからず、ただ流れていくニュースをぼーっと眺めているだけでしたが、自分もこれだけ年を取ると、報道されるような著名人を知らないということはほとんどなくて、え?あの人が?とか、そっか、もうそんなお年か・・などと、ただ同じ時代を生きてきたというだけで寂しくなったり悲しくなったりするものです。
それがこれから先、身近な人の死をも含めて、連続で絶え間なく起きていくような気がして、長く生きていくというのもなかなかしんどいものだなあと思ってしまいます。
もちろん、生きていけること、それ自体が尊く、ありがたいことであるのは確かなのですが。

坂本龍一さんの少し前のインタビュー記事を読んでいたら、どうやらニューヨークでの治療がうまくいっていなかった様子。帰国したついでに受けた日本での人間ドックで、それまで知らなかった転移が明らかになり、ニューヨークでの病院への信頼を失い、日本で病院探しをしたとのこと。
最初は有名な医師に診ていただいたそうですが、淡々と余命や生存率についての話をされ、統計的には正しいのだろうが、それにしても、言い方というものがあるだろうと思った由。その医師にはかからず、セカンドオピニオンで治療を受ける病院を決めたようです。

ものの言い方。

本当に大切。
伝え方には、伝える人の人間性が正直に出てしまうから、カチンと来たときは、迷わず対象を変える。
その決断は、「医者と患者」という関係になると尻込みしがちですが、小さくなる必要は全くないと思うのです。
何しろ、命を預ける相手なのですから。

個人クリニックならば、ホームページなどの雰囲気から、だいたいの医師の人柄を推測することができますが、厄介なのが大病院。
会ってみるまで、どんな医師が担当してくれるかわからない。
よほどツテでもあれば別ですが。
わたしの場合、たまたま割り当てられた医師が、最高に相性のよい、心から信頼できる人で、本当にラッキーでした。
その主治医がこの春に病院を変わることになり、「このままここで診察を受けてもいいし、わたしのところに来てもいいから」と紹介状を書いてくれました。

わたしの経過観察はあと二回。
このまま主治医に会わないという選択はないので、一度は主治医の病院に行こうと思うのですが、検査もその病院に委ねて大丈夫なのだろうか?
技師が何十人もいる今までの病院の方がいいのではないだろうか?
坂本さんの記事を読んで悩んでいます。

坂本龍一さん。本当にお疲れさまでした。
あなたの仰るとおり、あなたの音楽は永遠に続きます。
今よりもずっと耳がよかった頃に聴いた音楽は、きっと何度でも脳内で再生できるでしょう。
心が疲れたら、そっと思い出して弾いてみたいと思います。
素晴らしいサウンドを生み出してくださったことに、心より感謝を込めて。

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