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現代マケドニア短編小説:スネジャナ・ムラデノフスカ・アンギェルコフ

今回取り上げる"Contemporary Macedonian Fiction"『現代マケドニア短編小説コレクション』は、ネットで現代マケドニア文学について調べていたら偶然見つけることができた作品集だ。アメリカに本社を置くDalkey Archive Press ドーキー・アーカイブ社から2020年に出版された、最近のマケドニア文学を英訳で楽しめる貴重なアンソロジーである。編者はPaul Filev ポール・フィレフ、知られざるマケドニア文学やスペイン語圏の文学を英訳して紹介している気鋭の翻訳家である。

このドーキー・アーカイブ社はマイナーな作品や前衛小説を扱っている出版社で、世界中のあまり知られていない珠玉の作品を出版することを方針としている。東欧文学の英訳も多く、これから開拓していきたい作品ばかりだ。社名の由来はアイルランド出身の作家フラン・オーブライエンによる奇書 "The Dalkey Archive" から来ているそうだ(邦訳は『ドーキー古文書』として大澤正佳訳、白水Uブックスから2019年に出ている)。

ドーキー・アーカイブ社から英訳された日本文学は、富岡多恵子『波打つ土地』、金井美恵子『単語集』、福永武彦『草の花』、松岡寿輝『巴』などなど…うーんなかなか私好みだ…

さて、これから数回にわたって『現代マケドニア短編小説コレクション』に収録されている16の短編のいくつかを紹介していきたいと思っている。

最初に紹介するのは、Snežana Mladenovska Angjelkov スネジャナ・ムラデノフスカ・アンギェルコフの "Menka"『メンカ』(2011年)
近所にいる元小学校教師の威圧的な中年女性メンカとそのマザコン息子に仕掛けた、大人の悪を懲らしめるためのいたずらが失敗し、結局恐怖によって支配されてしまうという、残酷な現実が子どもの語り手によって滑稽に語られていく。

ある日、主人公が女の子と二人でミミズを餌に釣りをやっていると、メンカが音もなく近づいてきて、「水遊びしちゃいけないじゃない、おもらしするわ」と注意をしてきた。二人はメンカのことなんて無視していたが、二人の後ろにはメンカよりも恐ろしい人物がいた。メンカの息子ヴァンツェである。思春期はとうに過ぎているのに耳まで吹き出物だらけで、恐ろしく太っていた。二人はそのおどろおどろしい風貌に恐れをなして、金切り声を上げながら一目散に逃げた。
「うちの息子を馬鹿にしたわね!」と鬼の形相になって叫ぶメンカ。この出来事に恨みを持ったヴァンツェは二人に陰湿な脅しを仕掛けてくる。

「今から10分でワイナリーに行ってぶどうジュースを取ってこい!やらなかったらどうなるか分かってるよな…」と二人をビビらせ犯行に駆り立てる。見張りの役目だった主人公はフェンスの穴から腕を引き出すのに手こずり、もがいているうちに管理人に見つかってしまった。這々の体で事前に女の子と打ち合わせしておいた集合場所まで逃げ、彼女が来るのを待つ間、ふと四つ葉のクローバー探しに夢中になっていると、いつの間にか後ろにいたヴァンツェの一撃を喰らってしまった。怒り狂うヴァンツェに引きずられるが、ヴァンツェがマンホールに躓いた隙に逃げ出した。すると女の子が抜け目なくボトルを抱えて現れた。

そこで二人は復讐に取り掛かる。ほやほやの馬糞を入れたお菓子の箱とジュースのボトルをメンカの家の戸口に置くと、ありったけの声を張り上げ「メンカァァァァァ、ヴァァァァァンツェ!玄関にジュースがあるよ。召し上がれ!」と叫んだ。

しめしめと笑い転げていたのも束の間、すぐ後ろにはヴァンツェがいた。鈍重なヴァンツェには絶対につかまらないと普段から高をくくっていた仕打ちとばかりに、この時はロケットみたいに速かった。地下室に逃げ込み、棚の陰に身を潜める。恐ろしい銅鑼声、ドアの衝撃音、そして一瞬の沈黙ー早鐘のように打つ自分の心臓音しか聞こえない……ー

「ママ!いたぞ、ここに!」

あまりの恐怖に失禁し、つんざくような悲鳴を上げる主人公を見つけたメンカは充分脅しが効いたことを確認するとヴァンツェとともに去っていった。つんと鼻を突く尿のにおいが立ち込める部屋の片隅で、主人公は床に広がる尿にまみれながら、自分を釣り餌のミミズのように感じていた……

この短篇は私を子供時代に立ち戻らせる。私は幼少期、同じテーマの物語を絵にして、パターンを変えて繰り返し描いていた時期があった。そのテーマはこうだ。
主人公が何かの拍子に異界に入り込んでしまい、何か得体のしれないものに追われて悲鳴を上げながら逃走する。あともう少しで捕らえられそうなところで主人公は現実の世界に戻り、悪夢を見ていたのだと気づいてほっと胸をなでおろす。

私の描いていたのは主人公が絶対に捕まらない、逃げることにいつも成功する物語だった。だがこの短篇は残酷にも、主人公が逃げられず捕まってしまうという私が最も避けたかった結末を描き出す。主人公が必死に逃走する場面で私は幼少期に逆戻りし、主人公とともに恐怖を味わいながら、悪夢でない本当の現実を突きつけられ、茫然と絶望していた。

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