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最近の哲学の動向も?『〈私〉を取り戻す哲学』を読んで

年末、久々に新書を2冊読んだ。1冊は小坂井 敏晶『格差という虚構』、もう1冊が岩内 章太郎『〈私〉を取り戻す哲学』だ。前者はかなり議論が込み入っていてまとめるのが難しい。今回は後者について、雑感をまとめておこうと思う。

筆者は、現代社会の特徴として、「動物化」と「善への意志」を挙げる。

大きな物語が挫折した後、一方では、自己充足的な快‐不快の回路に閉じこもろうとする生き方の類型(=動物化)が現われるが、もう一方では、自由な個人の連帯による新しい倫理をつくろうとする生き方の類型(=善への意志)が現われる。

岩内 章太郎『〈私〉を取り戻す哲学』(講談社現代新書、2023年)、43頁

また、哲学の動向として、構築主義(ポストモダン思想)とは異なる思想が登場しているとして、マルクス・ガブリエルの真実在論が紹介される。詳しくは本文を読んでもらいたいが、ポストモダン以降の哲学の動向の一部分が垣間見えた気がする。相対主義に陥った現代社会を変えうる思想がそこにはあった。その後、筆者はデカルトやフッサールの思想をもとに、現象学をベースとした知のあり方を模索していく。

絶対的な真理を求める動向と、人それぞれという考え方が合わさったとき、相対主義の思考から抜け出せず、結局は力による決着に行き着いてしまう。現象学(新デカルト主義)はそれらとは異なるスタンスをとる。有限な〈私〉という存在をベースに、他者と〈私〉が相互に確からしさを確かめていき、相互の関係を築き上げていく。

正直、現象学は方法論としては面白いが、内容としては物足りなさを感じる。私たちはどう生きるべきかといった問いへの答えを明確に提示してくれないからだ。だが、それは結局お手軽な「正しさ」を求める私たちの方に問題があるのかもしれない。

筆者の議論はやがて、ネガティブケイパビリティを経て、〈私〉と他者、〈私〉とSNS上での自分との関係まで広がる。このあたりの考察は面白い。

〈私〉の〈私〉に対する自己関係が滑らかになればなるほど、かえってその存在感が薄くなるという逆説的な事態に、私たちは直面することになる。つまり、〈私〉の存在は、〈私〉の意志や力能の範囲を超えたものによって、支えられているのである。

前掲書、214頁

何でも自分でできる人の集団は、もはや人とのつながりを求める必要がない。自分ではどうにもならないものに直面して、改めて〈自分〉というものを実感する。弱さを抱えているからこそ、互いに助け合うという関係性が生まれる。それを筆者は岡田美智男の〈弱いロボット〉をもとに論じる。SNS上では、自分の弱さを見せる必要がない。SNSを見ていて感じる疲れには、弱さから生まれる繋がりが薄いこともあるのかもしれない。

コロナ禍での制限が緩和され、人とのつながりが取り戻されてきた今だからこそ、改めて〈私〉とは何か、改めて考えたい。


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