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気がつけば、酒に逃げるような人間になっている

酒を飲む、というのは中々にリスクのあることだ。健康の話ではない。人間関係、ひいては自分自身との向き合い方として、酒を飲んだときというのは得てしてかけになる。自制ができる程度の量で抑えるのが正しい向き合い方だと理解はしていても、なかなかそこで止めたくないと思ってしまうことはままあることな訳で、そうなると酩酊待ったなしである。元来寂しがりなので、酒でやってくる意図的な操状態なんぞ、人に絡んだ挙げ句にいつもは隠せる混沌とした感情を全面に出してしまい、その都度迷惑をかけている。この間なんぞはベロベロになってランクマなんぞやろうとしてしまい、危うく人間関係が崩壊するところだった。もう絶対にやらない。

とはいえ、疲れてすべてが嫌になってくると酒を飲みたい気持ちにもなってくるというもの。現実逃避にアルコールを使う怖さで足が竦むものの、逃げ道になる選択肢ってのはそれほど世の中に多くは無く、ましてインスタントな快楽として酒は時間的、金額的に極めて効率が良く出来てしまっている。中世ヨーロッパではアヘンが極めて安易な価格で買えたらしいが、ストゼロやら鬼殺しやらがやたらと売れる現代においてはあまり人のことを言えたものでは無いんじゃなかろうか。金額的な問題もあるだろうから、一概に言えることでは無いかもしれないが。
こんなことを続けていればアルコール依存症まっしぐらである。あるいは既になっているのかも知れないと不安が並々注がれる。実際のところは酒で何か指摘を受けたことも、毎日のように飲んでいるわけでもないので僕がアル中なら酒飲みは等しく末期患者になってしまうだろうから、僕が臆病になっているだけの話であろうが、常に異常のレッテルに怯え、気が狂いそうになる。

さて、まだまだ気をつけなければならないとはいえ、大分酒の席もゆるく開催され始めているように思う。かくいう僕もお仕事でお誘いを頂いたのだが、前述したようにここ最近は酒で失敗したやら己の中でビクビクしたりやらと碌な付き合い方が出来ていないのでまた何かやらかさないかと疑念が消えない。そも、もう数年は本当にごく限られた仲間内でしか酒を飲んでいないので、人付き合いとしての飲み方なんぞ忘れてしまっている。
逃げるために酒を飲むのに、つくづく多くの悩みになるのだから本当に恐ろしい。ひとまず、酒に飲まれるのは自室のみにしたいものである。

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