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深夜のデニーズ

夜から明け方にかけてのデニーズは趣深い。
その趣深さを、私は人生の味方として愛している。

私がデニーズへ行くときは、もう少し夜を引き延ばしたいときか、心が塞いでいるとき。たいていそのどちらかだ。家出少女だった高校時代から通っているので、もう随分とながい付き合いになる。

10代の高校生だった私や20代の社会人の私が、持て余した夜の孤独を引き連れ店のドアを押すと、やわらかい暖色の照明と耳ざわりのよいクラシック音楽が穏やかに迎え入れてくれる。彼らとはすぐに再会することもあるし、すこし間遠になることもある。

私は席へつくと、まずメニューを手に取る。頼むものは決まっているが(ドリンクバーとオニオングラタンスープだ)サラダからステーキ、ハンバーグへとページをすすめる。おなじみの顔ぶれをひとつひとつ目に収めていくと安心するのだ。季節ごとに限定のパフェなどをチェックするのもまた、深夜のデニーズの醍醐味である。

ひと通りメニューを眺め満足すると、今度はフロア全体に目をやる。

深夜のデニーズには実にいろいろなひとたちがいる。にもかかわらず、いるひとたちは毎度同じような人間なのだ。なぜか変わりばえしない。ひとりでぼうっと一点を眺めている60手前くらいのおじさん。淡々とキーボードを打つ20代半ばくらいのお兄さん。夜デート中か仲睦まじげに定食を食べている30代前半くらいのカップル(と思しき男女)。等々。そして私も、その変わりばえしない顧客形態の一員として組み込まれていく。すべからく。東京の夜のデニーズに。

本来ならば家で寛ぐはずの時間帯に、同じ箱へと吸い寄せられてしまった人間たちのあいだには、ゆるやかな連帯に似た空気感が流れるものだ。東京の夜の孤独を共有する同胞意識、かもしれない。

たとえばおじさんと、たとえばお兄さんと、私が話をすることはない。それどころか、目を合わせることすらしない。けれど、しだいに愉快な気持ちになり、入店当初の孤独感がゆるやかに後退してゆくのを感じる。私は安心して、本を開く。

深夜のデニーズは礼儀正しく素っ気ない。しかし、それに座りの良さを覚える夜も、たしかにあるのだ。


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