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言葉が足りない

真夜中、仕事で忘れている処理に気がついた。気づいてよかったと思うけれど、その気づき方が、気持ちが悪い。もちろん、忘れていた私が悪い。抜けているのだ。

「あれってどうなの?」
今日、その人は私に聞いてきた。
今思えば、私が忘れていることを指摘してくれたのだと思う。でも、指摘の仕方・問いかけが私にとっては「A」という問題と捉えたので「Aはこうだ。だから問題ない」と答えたのだけれど、その人は困惑したような薄笑いを浮かべた顔をしていた。なんだろう、何か変のこと言ったかな? モヤモヤするな。

そこで、せめて「Aはわかるけど、A´はどう? 前の時は、こうだったよね」って言ってくれていたら、「あ」と思い出せたかもしれない。でも、「A´」の話はなかった。

そのときの薄笑いの困惑顔が家に帰っても離れなくて、眠れなくて頭の中で何度も確認するうちに、自分がその人の問いが「A」のことではなくて「A´」のことだと気づいた。

ものすごく、しんどいと思った。

もちろん、忘れている自分が悪い。その人の助言の奥にあるものをくみ取れなかった自分の力量のなさが悪い。

でも、しんどい。

別の人なら、「そうじゃなくて、こっちのこと」って言ってくれるけど、その人は違う。言わない。

いつもそうだ。
いつも何か足りなくて、でも私の返答に見せる薄ら笑いに、私は何かひっかかって、「いったいあの笑いは何なんだろう?」と数日モヤモヤしたものを抱え、やっと答えを見つけて自分の不甲斐なさとその人に対する劣等感に溺れてしまいそうになる。

私には、その人の言葉が咀嚼できない。
いや、咀嚼するほどの情報量がなくて、飲み込んでしまうのだ。
せめて、あと一言。付け足して欲しいと思うのは、傲慢だろうか。

この人は、何が言いたいんだろうって、ずっと不安で、探らなければならない関係って、しんどいよ。

そう思うから、私はなるべく丁寧に説明する。問いかける時も、その人と共通理解できたと感じられるところまで言う。でも、説明を頑張れば頑張るほど、その人はまた薄笑いを浮かべている。・・・ように、私には見えてしまう。

ーそんなに説明しなくても、わかってる。
ー私のこと馬鹿にしないで

そんなふうに思っているんじゃないかと思ってしまう。(前に「馬鹿にしてるでしょ」って言われたこともある)

言葉が足りない。
会話が足りない。
対話が足りない。

たとえ言葉を尽くしても、望まれていない会話は、いやな感じしか残らない。言葉を尽くすには、信頼と信用が必要ということなんだろうなと思う。きっと、その人は私のことを信頼も信用もしていない。

じゃあ、私はどうだろう? その人のこと、どう思っているんだろうと考える。
ー信頼も信用もしてない。
じゃあ、仕方がない。しんどくても、そういう関係なんだと割り切らないと。

でもね、信用したいし、信頼のおける相手でありたいと思う気持ちも、少しはあるのよ。
ただ、いつもあの薄笑いがある。
だから、しんどい。

困ったなぁ。
週末だというのに、このモヤモヤを抱えたまま過ごすのかと思うとしんどいなぁと思う。

ああ、もう丑三つ時だ。




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