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ネイティブ・カサンドラ

私の人生に決定的に不足していたもの
それは「対話」

小さな頃から私はずっと心の中で叫んできた。
「そうじゃないのに!」
「そういう意味じゃないのに!」

「伝わらない」という葛藤をずっと抱えて生きてきたように思う。

元夫はASDだった。ASDはコミュニケーションの障害。なんてことのない日常会話はできるのだけど、ひとたび「話し合い」になると心の扉をパタンと閉じてしまう。というより自分の心を表現する「ことば」を持っていなかったという表現が近いかもしれない。

結婚して夫婦になり、子供が生まれれば、乗り越えるべき壁は次から次にやってくる。その時どうしたって「対話」が必要になる。元夫は「対話」ができなかった。というかそもそも「対話」という概念を持ち合わせていなかった。

何を聞いても帰ってくる言葉は「分からない」「考えてない」、元夫が表現できる唯一の方法は「不機嫌」と「セックス」だけだった。そんなコミュニケーションはどう考えたってうまく行くはずがない。私たちはただお互いの機嫌を取り合っていただけ。お互いの機嫌に翻弄されていただけ。結局最後まで夫婦にはなれなかった。私は元夫と心が通じなくて孤独と諦めの中に自分を閉じ込めていった。

その状態を「カサンドラ」というらしい。
私は立派なカサンドラになった。いや、違う。私は生まれながらの「カサンドラ」だった。

私の実の母親もまたASDだったから。
話が通じない。心が通じない。それを元夫を通して私はようやく認識できた。夫に対して抱いたその思いは、実は私が小さな頃からずっと抱えてきた葛藤だった。

全く気付いていなかったけれど、元夫と実母はそっくりな特性を持っていた。だからこそ慣れ親しんだ関係に安心を感じて結婚してしまったのだろう。そう、私は生まれながらのカサンドラ、「ネイティブ・カサンドラ」だったのだ。

「言葉が通じない。心が通じない。分かり合えない。」この強い葛藤は、私の中で「心から分かり合いたい!繋がりたい!一つになりたい」という強い強い望みになっていった。

だから私は書く。分かりやすい文章で、できるだけ多くの人に伝わるように。私は私を表現したいし理解してもらいたい。その思いが私を突き動かしている。

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