とわ

子供たちのこと、元夫のこと、子供時代のこと、これまであったたくさんの出来事を書いていき…

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子供たちのこと、元夫のこと、子供時代のこと、これまであったたくさんの出来事を書いていきます。毎日の出来事も書きます。

最近の記事

長男のこと。

長男シロとの出会いは、 私にとっては 人生観を変えるものでした。 シロは、とても体が弱く、 知的障害を持って生まれました。 特に気管支が弱く、乳幼児の頃は 死にそうになって入院もしました。 私は、シロをどうしても失いたくなくて とにかく死ななければよい、と そう思いました。 シロが知的障害であろうが、 体が弱くて何度も死にかけようが、 とにかく死なせない、それだけを 目標にしました。 シロは、心根の優しい子でした。 純粋で、とても寛容でした。 誰の失敗も、意地悪な気持ち

    • 長女のこと

      私の第一子。長女の名前は アカと言います。 アカには、第一子ということもあり、 でき損ないのお母さんで、 かなり迷惑をかけたと思います。 アカを生んでから、 私は正しい家族の形はどんなだろう?と 考えるようになりました。 親は、どう子どもに接するのが 正しいのか、わからなかったからです。 育児書もたくさん読みました。 アカの成長の記録も 細かく書き出しました。 テレビでさ◯えさんや、 ちび◯るこちゃんも観たりして、 家族団らんの様子や、 おかずや、会話なども学びました。

      • 子ども達のこと。

        私には、6人の子どもがいます。 望んだ妊娠ではなかったとしても、 私の中で芽生えた命は、 大切な私の家族です。 生むことは、私が 私の意志で決めました。 子ども達は、 それぞれがとても個性的です。 障害を持つ子どももいます。 このあとは、 子ども達のことを中心に 書いていきたいと思います。

        • 脱出しただけでは、何も解決しない。

          ひどいDV被害や、 モラハラによる精神的傷とか、 もちろん 受け続けたまま生活するよりも、 脱出できたら幸せなんだけど、 被害者には そのあとの人生も続いていて、 気づかずに ボロボロになってしまった 体と心は 修復するのに、とても 時間がかかるし、 植え付けられた奴隷の心みたいなものを 権利のある一人の人として 自分を、自分の足で たたせるには、大きな勇気がいります。 ずっと、ずっと、 否定され続けて、ダメな人間だと 言われ続けて、 自分で自分のことを 大切にできなくなっ

        長男のこと。

          最低の男だって証明されちゃったね。

          夫、いえ、元夫との離婚は 弁護士さんが間に入ってくれることに なりました。 当時私はうつ病の状態が悪く、 調停?か何か 話し合いがされたらしいのですが、 弁護士さんから 任せて!と心強い言葉をいただけたので、 すべてお任せしていました。 脱出してから半年が経って、 離婚が成立するという連絡を もらいました。 元夫は、関係の修復を 求めていたようです。 そして、それが叶わないとなると 親権を求めてきたそうです。 しかも、娘たちのどちらかを、と。 元夫の性癖は みんなで情報共有

          最低の男だって証明されちゃったね。

          自分と向き合うこと。

          体が自由になっても 私は、小さな物音や 人影に怯える生活が続いていました。 そして、死にたいと 思うようになりました。 いや、死にたいと言うよりも この世から、私を 消してしまいたかったのです。 自分の体の中がすごく 汚れている気がして すべてをほじくりだしたくなりました。 そして、下剤を大量に飲みました。 私は一気に うつ病と摂食障害を 発病しました。 食べ物は食べられず 飲み物だけで過ごし、 下剤を大量に飲む。 少しでも食べ物を食べてしまったら すぐに下剤を大量に飲む。

          自分と向き合うこと。

          これがほんとの家族の記念日だね。って子供たちが言ってくれたこと。

          人数の多さから、なかなかシェルターから 自立することができないのでは、 と言われてきた私たちですが、 本当に運が良くて、 家を貸してくれるところが見つかり、 シェルターを出ることが決まりました。 まだ子供たちが小さくて、 生活環境から、 これから様々な症状がでるかもしれないと 予想し、 心と体が元気になるまでは、と 生活保護も受けられることになりました。 今はもちろん私も働いていますし、 子供たちも成人した子はみんな 働いていますから、 生活保護からは卒業していますが、 当

          これがほんとの家族の記念日だね。って子供たちが言ってくれたこと。

          罪悪感との戦い

          夫に支配されてしまった妻は、 脱出をしても 自分が悪かったのではないか、 今、間違ったことをしているのではないか、 そういう気持ちになるそうです。 支配されていたとはいっても 夫の手中で保護されていた感覚もあり、 そこから自分の意志で脱出したとしても、 それまで考えることをやめていた妻は、 やっと目覚めた自我を 間違っているのではないか、と 疑ってしまうのです。 私も同じでした。 シェルターでは貴重品は 事務所に預けていました。 携帯もです。 けれど、事務所にいけば 携帯を

          罪悪感との戦い

          流されてきた私が、はっきりと意志を持ったとき。2

          元々夫は、常日頃から 娘たちの貞操を気にしていました。 単に、父親として娘を 心配しているようにも見えましたが 私は何か変なものを感じていました。 小学5年になる娘は 少し前から、「お父さんが、布団に入って 来るのが嫌だ。」と言っていました。 うまく説明できないようだけども、 何かとても嫌な様子なんだと 理解ができたので 夫に、もう5年生にもなると 女の子は布団に入られたりするのは 嫌みたいだから、もうやめてね。と 優しく言ったのですが、 夫は憤慨していました。 その頃から

          流されてきた私が、はっきりと意志を持ったとき。2

          流されてきた私が、はっきりと意志を持ったとき

          そんな結婚生活も15年ほどたった頃、 ネットサーフィンをしていたら DV被害に合っていた人たちに 出合いました。 その人たちは、私なんかとは くらべものにならないほど ひどい目に合っており、 それでも参考になるようなお話などを 聞かせてくれていました。 その人たちも、私の経験を 黙って聞いてくれて、 誰にも話せなかったことも その人たちには話すことができました。 話をして1年以上たった頃、 その中の一人が私に言いました。 「あなたは気づいているかわからないけれど、 あなたも

          流されてきた私が、はっきりと意志を持ったとき

          私は一人の人として扱われたわけじゃなかった。2

          前回に続き、閲覧注意の記事です。 なるべく淡々と、きつい描写などは 避けているつもりですが、 所々、気分が悪くなるような 文面もあるかもしれません。 夫は私を 一人の人として認めていたのでしょうか。 夫にとって私は、 家政婦であり、子ども達を育てる 保育者であり、親のための介護者であり 性欲処理道具でした。 私の気持ちや都合など 夫にとっては大したことではありませんでした。 夫の親の介護もしました。 アル中の義弟の世話もしました。 夫はすべて私に丸投げしました。 それが当

          私は一人の人として扱われたわけじゃなかった。2

          私は一人の人として扱われたわけじゃなかった。

          この記事は、元夫から受けたモラハラDVについて書いてあります。 内容から、フラッシュバックを起こしたり 気分が悪くなってしまう方も いるかもしれません。 閲覧注意でお願いします。 夫は、性交渉が好きな人でした。 愛を確かめ合う行為、というよりは 性欲を満たす行為が好きだったと思います。 夫は、相手の気持ちを考えたり、 体調を労ったりすることを 性交渉においては できない人だと思います。 妊娠中も、出産後すぐも 熱があっても、関係ありません。 夫がしたいときが、するときで

          私は一人の人として扱われたわけじゃなかった。

          徐々に支配されていくこと

          夫は、18才も年上だし、 私の知らないこともたくさん知っているし、 周りの人からは、優しい人と 言われていました。 けれども、二人で過ごしていると 子供っぽかったり、抑制がきかないような 所もあり、一緒にいると 年上のような感じはしませんでした。 夫は、若い女の人が好きでした。 美しくなくても、若いということは 夫の優越感を擽るらしく 私のことを自慢していました。 私は、夫のことを 好きにはなれませんでした。 子供達の父親、とは思いました。 でも、子供とは家族と思えたけど

          徐々に支配されていくこと

          知らないことを、たくさん教えてくれた。

          改めて、私の夫になったおじさんは、 モラハラでDV男でした。 でもその頃は、モラハラもDVも今ほど 言われていなかったし、私は無知だったので 父親のような人と結婚してしまった、 と思っていました。 夫は18才も年上で 毎日毎日、体を求めてきました。 気持ち悪くて仕方ありませんでした。 けれど妊娠すると、体を 気遣ってくれる様子もありました。 食べたことのない美味しいものも 食べさせてくれました。 行ったことのない所にも 連れていってくれました。 飢えなくて、知らないことを経験

          知らないことを、たくさん教えてくれた。

          結婚て、みんな愛し合ってするものなのね。

          19才の頃、私は工事現場の警備員の バイトをしていました。 遊んでいた土地を離れて、 一人でアパートで暮らしていました。 朝起きて、お弁当をもって 工事現場に行く。 特に誰ともしゃべらず、 お昼には近くの公園で 一人でお弁当を食べ、午後また仕事をして 夕方に帰る。 そんな毎日の繰り返しでした。 ある日、いつも通り 近くの公園でお弁当を食べていると おじさんが声をかけてきました。 同じ工事現場で働いている人です。 ニヤニヤしながら 私にジュースをくれました。 若い女の子と話し

          結婚て、みんな愛し合ってするものなのね。

          めちゃくちゃな10代

          紡績工場に行ってからの私は 自由でした。 自分の身ひとつ、 誰からも搾取されることなく、 誰からも守られることもなく、 私は、自由でした。 生活が荒れて、 自分が嫌いだった、いわゆる不良のような 生活をしました。 知り合いもたくさんできて、 遊び歩きました。 よく年齢を重ねてから 10代の話を武勇伝のように語る人がいますが 私には、それはできません。 未成年でお酒を飲み、 年をごまかして夜の仕事をし、 暴走の仲間に入ったり、 淫らな行為をしたり、 犯罪すれすれのことをして、

          めちゃくちゃな10代