家族構成

ここマレーシアKLでの家族構成など。

KLCCからMRTで10分もかからない便利な住宅地に、ぼろい一軒家が建っている。
築50年くらいになるのだろうか。
大きなダイニング、4ベッドルーム3バスルーム、そして駐車場と小さなバックヤード。
ごく一般的なマレーシアの住環境。
そうね、可も不可もない、わたしの新しい棲家。

前に住んでいたコンドにはプール、ジム、サウナ、パン屋、なんでもあってショッピングモールまでも徒歩5分だったから、懐かしくないと言えば嘘になるけど、どこだって住めば都にするしかない。

家族構成として
V、わたし、猫(雑種)、犬×2(雑種)、ハムスター(私が連れてきた)、認知症のおばぁちゃん、住み込みのお手伝いさん。
一人っ子核家族で育ってきたわたしには、立派な大所帯。

Vの母が癌で去年の夏に亡くなり、それからしばらくは家自体がとてもさみしげだった。
空っぽになった母親の部屋はお葬式が終わってからも半年以上何も手つかずのままで彼女を探して犬と猫がよくうろついていた。
彼女がもうこの世にいないのを理解しているのか、それとも戻ってくる日を心待ちにしているのか、とにかく空っぽのベッドのまわりをうろついては、物悲しげな顔でVの部屋に戻って来るのだった。

一方で認知症の祖母は、自分の娘が亡くなった事実がいまだわからず、かえってそれがこの家の悲しみを和らげたりもしていた。

そんな家族に、季節のないマレーシアの春、私が加わることになった。

20代の頃は一人で生きていくことこそ自分の中での正義と考えていて、誰かと住むなんてまっぴらだったし、結婚するなら週末婚とかなんならオープンマリッジでいいと思っていた。
経済的にも精神的にも男性に依存することなどなく、人生万事一人で力強く生きてこそ私の人生だと。

だから、20代の私からすれば今の私は軽蔑の対象になるだろう。

仕事を辞め、言われるがままにパートナーの家に転がり込み、あるのは向こう1年分の生活費。

客観的に考えて、覇気がなくなったのか、まるくなったのか、こだわりがなくなったのか?はたまた、ある程度の諦めからくるものなのか?

深く掘り下げて解析するつもりはないが、多分以前より対自分へ恐怖が少なくなったからかもしれない。
一人で生きていける強い私、こだわりのある強い私、そこに自分の存在意義を見出して安心していた自分が放浪の旅に出たとか。いつか戻ってくるかもしれないけど。

だいたいのことが、どうでもよくなった。
そうかこうやって人は40代に突入するのか。

30代半ばの今よく考えるのは、自分なんてあってないようなものだなということ。
ここKLで暮らすMという個体=私、から湧き出る感情も哲学もアイディアも、全ては外野に影響を受けた現象の複合体なのだから、機会に恵まれたらなら何事もありがたく頭を垂れて受け取るくらいで十分なんだと思うようになった。

新しい住まいからは、背伸びをすればKLタワーが見えて
一本道を出ればペトロナスツインタワーが煌めいている。
街中どこにいくにもだいたいグラブで15分で?
手頃で美味しい中印馬料理屋が近所にあって?
しかも最近最寄り駅までOPENしたんだから、
どう考えても住めば都。

ありがたしありがたし。

深夜、外のパトロールから帰ってきた猫が汚れた足でベッドに割り込むのも
それに嫉妬して犬が唸るのも
幻覚のなかで徘徊するおばぁちゃんも
新章において素晴らしいスタートであろう。



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