東洋大学哲学思想研究会

東洋大学哲学思想研究会

最近の記事

【2023年度哲学思想研究会部誌収録文章】現代的観点におけるパターナリズムと共通善に関する「超克の超克」

田代剛士 起稿:2023年10月15日  私は本稿でパターナリズムを問題にする。課題意識としては、社会的父権主義の有効性と社会内存在という位相における個人の不満感との兼ね合いである。  さて、このような事柄というのは個別具体的な事象から考えるべき問題であるから、そのような方針をとる。まず、ここに一人の病識のない精神病患者がいるとしよう。そうした場合、その個人のためにもほとんどの他人のためにも、当然に処置として治療を施すのが望ましい。しかしその場合、当人の病識の欠落から治療

    • 【2023年度哲学思想研究会部誌収録文章】時間、空間、あるいは季節感

      大島昴 ※注意書き※ この寄稿文は私が哲学思想研究会とは別にメンバーとして活動している同人ゲーム制作サークル、「セイランソフト(Twitter:@SEIRANSOFT)」のCi-enというサイトに記事として書いたものを加筆修正したものになります。個人的な宣伝になってしまい申し訳ありませんが、今回の内容をさらに詳細にまとめた補足記事などもそちらに掲載する予定なので、興味があればぜひともそちらもご覧いただけると嬉しいです。 本文 突然ですが皆さんは俳句や短歌を詠むことはあり

      • 【2023年度哲学思想研究会部誌収録文章】(無題)

         犬のやっているところの学問を、我々にもやらせてくれとは言わないから、我々のやっているところのこの学問も、他の何にやらせてみたならば面白いか。などということは言わないでおこう。ではないか。  言ってはならぬとは言わないが言ってみても構わない。とのばかりのナントカ理性を、文学部ということの当て付けに意地っ張りとして発揮させることも、本当はもう飽きているのではないだろうか。本当ならば。  何が純粋であっても純朴な人間用語としてのそれならば、目に見えて格好悪く、目に見えない風である

        • 【2023年度哲学思想研究会部誌収録文章】新たなる能力主義を構想する──マイケル・サンデルのメリトクラシー批判に応答して──

          はじめに  現代日本において、存命の哲学者の中でも有数の知名度を誇るマイケル・サンデル氏の著書である『実力も運のうち 能力主義は正義か?』(早川書房,2021)においては、主に大学入試などにおける能力主義、いわゆる「メリトクラシー」に対する厳しい批判がなされている。アメリカの大学入試において、保護者の大学に対する献金により一部の学生が入試において優遇されるというような事態が多く起こっているにも関わらず、実態にそぐわないメリトクラシーの信念が浸透しているが故に、学歴による分断

        【2023年度哲学思想研究会部誌収録文章】現代的観点におけるパターナリズムと共通善に関する「超克の超克」

          【2023年度哲学思想研究会部誌収録文章】三社祭の思い出

           私がふと思い立って、三社祭へ行くことに決めたのは、その最終日である五月二十一日の前日、二十日の夜のことであった。  ちょうどその時私はいつもの如く布団の上で重い学術書を引っ張り出し、傍らにボールペンとノートを広げて読書会のメモを作っていたが、三、四十分程も作業を続けていると集中力も切れてきて、本を開いてもその文章ではなくて、ページの隅の方に小さくついた滴の痕であったり、古本で買ったものだから所々に点付いている染みや埃であったりが気になり出す。  そんな堂々巡りの思索と行為の

          【2023年度哲学思想研究会部誌収録文章】三社祭の思い出

          【2023年度哲学思想研究会部誌収録文章】正義論序説 無限遡行に抗って

          うそく斎 「正しさ」について突き詰めてみると、無限遡行に陥らないだろうか。Aが正しいという根拠はB、Bが正しいという根拠はC、Cが正しいという根拠は… 多くの人間がとる行為はこれだろう。「ダメななものはダメ、良いものは良い」と遡行をうち止めるか、それを問う行為自体を否定する。つまり、自らの説く「正しさ」の根拠を答えられないのだ。 ではこう返すほかないだろう。「私が正しいと判断した。だからこうするのだ」さて、反論出来るのだろうか。 無限遡行に陥る限り、説かれる「正しさ」には正

          【2023年度哲学思想研究会部誌収録文章】正義論序説 無限遡行に抗って

          【2023年度哲学思想研究会部誌収録文章】正拳突き&おっさんはかく語りき

          正拳突き 本書は出来るようになるという感覚を掴む練習である。人間が人間を超えてしまおうとしている狭間にいる我々は今までとは違った物とカップリングした成長の仕方を学ぶ必要があると言わざるを得ない。飯の食べ方ぐらい根本的なスキルを新たに学ばなくてはいけないほどの逼迫性に駆られたらでいい。  格闘ゲームを事例として扱っていく。私はゲーム好きであるし、歪なカップリングであるからものの例えにはちょうどいい。 格ゲーの大まかな説明 勝利条件  90秒間に相手の体力をゼロにする。殴るなり

          【2023年度哲学思想研究会部誌収録文章】正拳突き&おっさんはかく語りき

          【2023年度哲学思想研究会部誌収録文章】デカルトの哲学を自然学中心に整理する

          孤山老人 まえおき 本稿は授業のレポートを加筆修正したものである。実を言うと、もともと小説を投稿する予定なのが準備不足なため5日前に授業レポートを加筆して掲載する運びとなった。また、学部一年生という未熟な身ゆえ「調べ学習」の域を超えないものとなったが、寛容な目で見て頂きたい。加筆修正をした関係上内容的に本筋から外れてしまうこともあるが、この冊子が無償または低額で配布されること、そしてこの冊子は学生の集まりが発行していることを考慮してご容赦頂きたい。 序論本レポートではデ

          【2023年度哲学思想研究会部誌収録文章】デカルトの哲学を自然学中心に整理する

          【2023年度哲学思想研究会部誌収録文章】(無題)

          霜月 両腕を上げ、指先までぴんと伸ばすその動きを合図に、私たちは楽器を構える。 全神経を集中させ、何もかもが永遠に眠ってしまったその瞬間に私たちだけが息をするのを許される。 7分間だけの物語。 小学生の頃の私は、音楽に対して特に強い思いがあったわけではない。幼馴染の香織と一緒になんとなくで音楽クラブに入ったため完全にお遊び感覚で、月に2、3回の放課後練習と発表会の少し前から週に1回昼休み練習があるくらいの、管楽器クラブのなりそこないのようなものに参加していた。 演奏は

          【2023年度哲学思想研究会部誌収録文章】(無題)

          【2023年度哲学思想研究会部誌収録文章】万物の根源の無限性について

          「世界を構成する最小単位は何か」という問題は、多くの自然哲学者の興味であり、これまで多くのアイデアが生み出されてきた。例えば、タレスはそれを水、アナクシメネスは空気、デモクリトスは原子と主張した。また、現代物理学ではそれを素粒子に認めている。 基本的に彼らの主張は、一部の例外を除き、物質的な世界における万物の根源についてである。したがって、万物の根源は、それ自身も物質的なものでなくてはならないだろう。 ところで万物の根源を物質的なものに求めようとする態度は、哲学に限らず自

          【2023年度哲学思想研究会部誌収録文章】万物の根源の無限性について

          【2023年度哲学思想研究会部誌収録文章】とある実在の視点紹介     

          一.始めに  今回、哲学思想研究会の冊子作製にあたり、文章を作成する機会を頂けたこと嬉しく思います。第一締め切り六日前にやっと何を書こうか考え始め、まずは私が取り組んでいる思想について現在の思索進捗をまとめようと思いました。しかしながら、冊子が一般に広く公開されるということや、語れる範囲の限界などもあり、今回は代わりに私が取り組んでいる思想の出発点や根底となる基礎的な視点らしきものを、専門用語等の使用を極力控えたうえで、重要と思われる個所をできるだけ簡単に、あくまで私の解釈

          【2023年度哲学思想研究会部誌収録文章】とある実在の視点紹介     

          シリーズ:「哲学の根」 企画第1弾:「営為としての西洋哲学史入門講義」 第1回:簡単な序説とミレトス学派

           どうもです。田代剛士です。この企画では「営為としての西洋哲学史入門講義」と題して、その題の示す通り、西洋哲学史を自ら考えつつ概観できるような概説を行う。この文章は、哲学思想研究会内の「西洋哲学史」学習会での自主講義向けに書かれている。哲学史は、たんに空疎な哲学史に終わるのみならず、哲学することに対しての意味を持たなければならないという信念を持ってではあるが、しかし同時に学習者の用をも満たすものが存在しなければならない。では、早速ではあるが本文に入る。 1,営為としての哲学

          シリーズ:「哲学の根」 企画第1弾:「営為としての西洋哲学史入門講義」 第1回:簡単な序説とミレトス学派

          比較思想的試論および神の自分語り

           哲学とは何か。私はいつも、哲学に規定はないと思っているが、一応の定義を試みなければならない。デカルトを例にとろう。デカルト的態度ということで私が言おうとするのは、すなわちデカルトのかの思惟において、徹底的に懐疑する方法的懐疑と、そこにおいて何かを掴まんとするその態度のことだ。永井均は『事典・哲学の木』の「哲学」の項目で、哲学する者だけが知る「友人」と「悲しみ」を語っているのだが、私はそのような意見に賛同する面がある。一方で同時に、私はデカルトを例に、哲学のそれだけでは済まさ

          比較思想的試論および神の自分語り

          夢想の徘徊

           哲学とは何か?  というのも、われわれ哲学思想研究会は、その名が示す通り「哲学」を看板に掲げた学術系サークルなので、この問いは最初に取り上げるテーマとしてふさわしい、と思った次第であり、故に、今回はこの問いについて多角的にアプローチする。  そもそも、この問いは問いとして成立しているのだろうか? (今回はこういったメタ的な記述を多用したい。また、たんに一つの問いを深く掘り下げるのではなく、脇道に逸れて、その寄り道で見える風景を味わいつつ、かつルートを決めずに思索を行いたい