本と大学と図書館と-44-飛躍の好機 (Fmics Big Egg 2022年12月号)

 図書館における経営・管理・運営は,教育とメディアとの関係性を活かし,図書館単独よりも広範囲なサービスを展開できます。
 大学図書館は,大学設置基準等の改正に伴い,新たな高等教育サービスへの対応が必要です。公共図書館は,首長部局との関りが強まり,業務範囲が拡張し,公民館・博物館・美術館などの文化・芸術・スポーツを含んだ社会教育から,生涯学習や地域づくりともつながります。学校図書館は,初等中等教育のGIGAスクール構想により,ICTを活用した教育環境が整えられ,授業における情報の利活用への支援が求められるでしょう。
 来年は図書館の大きな飛躍への離陸を予感させる年になりそうで,大いに楽しみです。
 この連載では,図書館が存在する環境として,社会と文化と価値観などにも断片的に触れてきました。全体を把握するのは大変ですが,本と大学と図書館について,より大きな視点から俯瞰できないものかと考えています。きっかけは,発売当日に即買いし,一気読みした,以下に紹介する,豊田恭子『闘う図書館:アメリカのライブラリアンシップ』(筑摩選書 2022.10.15)です。
 アメリカの図書館界は,地元の資産をつなぐ結節点となり,コミュニティを再生し健全な民主主義を呼び戻すという,新しいビジョンに向かって動き出していると結んでいます。20年以上前,90年代後半以降に,インターネットは,情報の発信とアクセスの有効な道具として定着しました。現在の市民生活では必須のツールです。当時の日本の公共図書館は,インターネットへの対応を怠りました。この「とりこぼし」が,大きなターニングポイントだったと考えています。図書館の地位向上の機会であった「情報アクセスの保証」は,個人や家族で契約するスマホという情報端末上に納まり,民間企業の懐を潤します。
 わが国の調査する少数の住民は,一例をあげれば,過去の全国紙や地元新聞を閲覧するために,自宅から離れた中央図書館や県立図書館まで出かけなければなりません。紙の新聞も消えゆくメディアといってしまえばそれまでですが,新聞の役割は消滅してよいものではありません。更に,地域課題の発見・解決のための資料の収集・保存・提供という図書館の使命も復権すべきものです。
 公民館や社会教育の存在,識字率の高さ,多民族社会でない単一民族社会,崩れつつある永久就職,国民皆保険,これらの日本における独特な仕組みや制度があります。こうした社会・文化・価値観の違いが,日本的な生き残り戦略ではない,闘う図書館を生み出したのでしょう。個人的に,勇気をもって闘いたかったのは,リテラシー支援の実装で,今も取り組んでいます。

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