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言語化するということ

日々思っていることや、感じていることを、言語化するというのは、難しいなと思う。

思っていることや、感じていることは、目には見えない。
見えないものを、文字にして見えるようにする。

文字にして見えるようにすると、どうも少し違う気がしてきたり、途中からもうめんどくさくなってきたりする。

でもなんとかしっくりくる言葉を見つけたり、うまく気持ちが言葉に乗ってきたときには、とても気持ちがいい。

「感じたこと、思ったこと」は、「言葉に表して」始めて完了するような気がする。

生まれてきた意味も、ここにあるような気がする。

「そこから見た景色はどうですか?こちらから見た景色はこうですよ」

と伝え合えるのは、たくさんの場所に、たくさんの人がいるからだと思う。

それぞれの場所にいて、それぞれの経験をするのが、それぞれの役割。

だから、生きているだけで、役割は果たしているのだと思う。

あなたはどんな経験をして、どんなことを感じていますか?と、人の話を聞くのはとても楽しい。
そして、私はこんな経験をして、こんなことを感じましたよ、と話すのも、とても楽しい。

感じたこと、経験したことを、言葉に表せたら、始めてそこで完成するのだろうな、と思う。

言葉に出した時にふと違和感を感じることもある。
これは本当に自分の思いだろうか?と。

知らない間に自分以外の思いが入り込んでいたりする。

親の思いだったり、身近な人の思いだったり。

自分以外の思いに気が付いたら、そっと、離してみる。

周りからの「期待」が自分の「思い」の振りをして、ここに居ることがある。

気が付いて、本当の自分の思いだけにしていく。

本当の自分の思いだけになったとき、それを言葉にできたら、自分が納得してとても気持ちがいい。

人の話を聴くときも、他の誰かの話ではなく、その人自身の話を聴きたいと思う。
本当の会話が楽しい。

自分の感じていることの純度を上げていきたいな、と思う。


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