川崎大師 正式名称を平間寺と言う



2024.04.07
2015年以来9年ぶりに奇祭かまなら祭にやってきた。日本の奇祭の頂点とも言える「かなまら祭」は、毎年4月に神奈川県川崎市の金山神社にて開催され、「性神信仰」の歴史をひもとく 多様性の体現「かなまら祭」 は、性病よけや子孫繁栄を願う祭りで、 男性器をかたどった神輿が街を練り歩くと言うから驚きで、近年は外国人観光客から人気を集めていた為か予想を上回る人出にうんざり、川崎大師に逃げ込んだ。お正月の三が日には全国から多くの参詣者が訪れる「川崎大師」、その正式名称は「金剛山 金乗院 平間寺」と言われているが、川崎大師の名の方が知れ渡り、厄除けのお大師さまとして全国的に知られ、厄除け、家内安全や交通安全、健康長寿など諸願成就にご利益があると言われている。



この山門は、大山門と言い、開創850年の記念事業として昭和52年に建立され、境内を囲う浄域結界の総門であった。


正面の立派なお堂は、大本堂で御本尊である弘法大師、不動明王、愛染明王などを祀っている。


お参りの前に、手水舎とここ献香所で心身を清めよう。


そうか今は花まつり週間で、花まつりとはお釈迦様の誕生を祝う日(4/8)で花まつりの名前は灌仏会(かんぶつえ)と言われています、


大本堂前の小さなお堂・花御堂には、たくさんの草花で飾られた中には、甘茶で満たされたたらい型の灌仏桶に右手で天を、左手で地を指さした、生まれたばかりのお釈迦様である誕生仏を安置され、皆、代わる代わりにお釈迦様に甘茶を掛けていた。


ひらまくんのデザインは、奈良の「せんとくん」の生みの親として知られる彫刻家・籔内佐斗司先生で、令和2年5月川崎大師公式キャラクター「ひらまくん」は誕生していた。


ここは、福徳稲荷で、昭和20年4月15日未明の空襲により、ほぼ全てのお堂を焼失した川崎大師の中で、奇跡的にその難を逃れたのが、五穀豊穣、商売繁昌を司る「福徳稲荷堂」であった、毎年2月21日には「福徳稲荷大祭・午まつり」が行われます。


福徳稲荷堂の隣に中書院茶室があり、夢石というものが奉納されていた。


ここは不動堂。関東三十六不動霊場の第7番札所でもある。御本尊・不動明王尊像は、成田山新勝寺御本尊のご分躰を祀っています。


境内の中でひときわ目立つのが「八角五重塔」で、今日は無料で内部拝観が出来ていた。


八角形は最も円に近い建造物の形といわれ「包容力」「完全性」を象徴しているのだそう。


あれ!北の湖理事長の姿がここにあった訳は、北の湖は川崎大師の檀家であり、毎年年始に必勝祈願をしていたから銅像がここに建てられたのだろう、墓石もこの境内にある。2015年死去後、2017年に建立されていた。


平成29年に開創890年記念事業として建立された「日本百観音霊場お砂踏み参拝所」で、川崎大師貫首が信徒とともに西国三十三観音、坂東三十三観音、秩父三十四観音の各霊場を巡拝し、拝受したお土砂を各札所本尊ご分身としてお迎えして埋納している尊いところであった。


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