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旧白石公園

説明

 かつて豊田中央病院のわきから庭田に通じる道を登り切った峠のわきの丘の頂上に美しく整備された庭園がありました。そこは白石公園と呼ばれ、豊田西八幡宮の下にあった白石呉服店というお店の店主が私財を出して整備されていたそうです。1960~1980ごろ、西市幼稚園や西市小学校の児童の遠足の目的地としてしばしば利用されていたので懐かしむ方もおられると思います。白石呉服店は1980年頃本店が火事で失われ、多くあった支店も次々と閉店し、現在ラピールのなかの小さな店が残るのみとなっています。
 白石公園も人手に渡ったのか、現在大部分が荒れ地となっています。その片隅には携帯電話のアンテナが立ち、中央奥には石の祠が残ります。整備されていたころにはここからの眺望がすばらしかったのですが、現在は木々の隙間から西市の街と周辺の部落が見えます。
 またこの地は室町時代にあったとされる矢田城の候補地のひとつでもあります。1470~1520年頃、豊田を支配していた大内氏の家臣、朝倉家の武将がかまえていたとされる矢田城は、豊田町史によれば大字矢田、字横野、現在豊田こども園の裏山あたりにあったとされています。しかし地形をみると、むしろ白石公園のあった丘がふさわしいように見えます。矢田城の場所については古くから論争があるようです。(F)

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跡地にのこる石祠

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敷地内に建てられたアンテナ

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公園跡からの眺望

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下から見た丘

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場所

〒750-0424 山口県下関市豊田町大字矢田

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