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 学校で注意しなきゃいけない子が僕みたいな子


 
 「なんで注意しないの!?」

 「なんでもっと厳しくしないの!?」

 「叱れないとダメよ」


 僕がよく言われる言葉です。全くその通りなのですが、あえて言い訳するとしたら、



 「だってこの子達がしていること、僕もしたくなることなんだもん😢」



 という言い訳になります。


 例えば体育館で行われている離任式。離任者が入場してくる場面を想像していただけないでしょうか。

 離任者が体育館の真ん中を通って、入場してきます。後ろにいる子達は前の人に隠れて入場してくる離任者が見えません。だから、ぴょんぴょん跳ねています。

 僕はその場面を見てドキッとします。なんとなく「しっかり立たせなきゃ」という教員としての感覚が頭の中にあるからです。だから、「指導しなきゃ」と思います。 

 その教員としての僕に個人的な僕がこう言います。

 「でも自分だったら絶対するよね。だって顔見たいもんね。」

 教員としての僕はそれを聞いて再考します。

 「確かに・・・。ただ”なんとなく”このままじゃダメな気がする。なんて指導すれば子どもは納得感をもってくれるかな。そもそも、事前に『離任式はしっかりとした姿勢で落ち着いて臨みましょう。理由は○○だからです』と言ってない時点で自分は指導する資格はないんじゃないか?」

 とかウジウジ考えているうちに、

「Pu先生!!!なんで注意しないの???」

と叱られます。




 例えば教室で行われている授業中。1人の子どもがぼーっとしています。

 僕はその場面を見てドキッとします。「しっかり授業を受けさせなきゃ」という教員としての意識があるからです。だから「指導しなきゃ」と思います。

 その教員としての僕に個人的な僕がこう言います。

 「でも自分だったら絶対ボーッとするよね。だってつまんないもんね一斉授業。高校の時とか僕もいっつも内職してたじゃん。」

 教員としての僕はそれを聞いて再考します。

 「確かに・・・。ただこのままじゃダメだよね。なんて指導したら子供は納得して授業に臨んでくれるだろうか。そもそも自分の授業が面白くない時点で自分の責任なんじゃないか。よし、自分の授業力を上げよう。」

 とか考えて、結局その時は指導せずスルーしてしまいます。そして授業力向上に向けて頑張ります。

 結果、ちゃんと授業を受けない子が1人、また1人と増えていきます。



 これらの事例から分かることは、僕自身が学校で注意されるような人物であるということです。

 納得できない管理や命令が大嫌いで、自分の主体性を奪ってくる人間を嫌悪するような人物であるということです。

 


 ただ、教員である以上、このような姿勢の児童がいたら注意しなくちゃいけないし、指導しなきゃいけない。

「理不尽だよね・・・。ごめんね・・・。」

という気持ちで指導しなきゃいけない。

これが苦しいんです。


 他の先生もこんな葛藤を抱えながら指導にあたられているのでしょうか?


 それとも僕だけなのでしょうか?


 



 葛藤はしばらく続きそうです😢 

 

 

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