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レビューというにはあまりに断片的な『ウィーアーリトルゾンビーズ』鑑賞メモ

恋人も漫画を描く人なので、恋人と映画を観た後感想を話し合うと非常に考えが深まる。話し合ったことやその後考えたことのメモ。ネタバレがあると思うので、それが気になる方は注意されたし。

・一言で言うと、「好きなところもあるけど惜しい感じ」。

最初に好きなところを書いておく。

◇独特のふわふわした感じ、これは完全に監督の武器だなと思う。「彼らが住んでるのは現実世界に見えるんだけどファンタジーだよ」、ということが視覚的にも聴覚的にも、あちこちで奇妙な雰囲気で示唆される。映像が一番特徴的だけど、実は話し方が大きいと思うんだな、みんな話し方がデフォルメされてる。だからポエムみたいなのだったりラップみたいなのだったりするモノローグも合うんだろうなと思う。その感じは好き。

◇葬式のシーンでピコピコした音楽が流れるところ

◇池松壮亮氏の演じる軽薄な(けど寂しそうな)マネージャー!池松壮亮の演技って私は『愛の渦』と『万引き家族』しか知らなくて、この人は暗くてエロくて美しい人を演じるのがほんとうまいな…と思っていたのだけど、こういう役もいけるんだなーと。軽薄だけど最後の一線は踏み越えない感じもよかった。

◇菊地成孔氏を起用したところ!!!(彼のラジオが終わっちゃって寂しかったから、あの小気味よい口上が久しぶりに聴けて嬉しかった…)

◇中島セナ氏の、一本指がない女の子という設定。しかも左の薬指。撮り方によってすごく大人っぽく見えるところもよかったな。この年齢ならではの美しさだなと。

◇ベタ(魚)のエピソード、よかった。物語を作るために、生き物の生態について私ももっと詳しくなりたいなと思う。

・なんで惜しいって思うかというと、主人公がなぜ孤独からすぽーんと抜けられたのかが、あまりに不明すぎるからだ。突然自己解決したのでカタルシスはなかった、おいて行かれた感じがあった。
物語、『意外な展開度』も弱いし、『キャラクターの心の動きに胸打たれる度』としても弱いなと思った。

新鮮な映画にすることを追求したよ!(メッセージとかは特にない!)って作品ももちろんあっていいと思うんだけど、たぶん監督はメッセージを込めたかったんだと思うので、それが、うまくいってなさそうだったのがちょっと残念だった。

物語が弱くなってる一つの原因はキャラクターが弱いことかな?と思う。主人公の子どもたちは4人いるんだけど、ビジュアルのまとまりという点以外に、あんまり4人いる必然性が感じられない(特にイシとタケムラ)。もちろん、一人ひとりのエピソードにかけられる時間には差があっていいと思うんだけど、もっとセリフとか行動とかでその子の考えてることとか大事にしてることとか、間接的に描けるのではなかろうか?イシとタケムラのセリフは、誰とでも代替可能な感じがしてしまった。4人いるからこそ起こるケミストリーみたいなのが感じられないから、群像劇としての満足度が弱いかな…。

・「親の愛情は、(そう感じられない人はいるかもしれないけど)みんなもらってるものなんだよ!」というのにヒカリが気づいて、孤独から脱出する、という結論を出したかったようなんだけど…何を通じてそこにたどり着いたのかが不明…(「ヒカリ」と名付ける回想シーンがあるんだけど、それをヒカリが見たわけではないし、このシーンをターニングポイントにしたいなら子どもたちが4人集まった意味とは…となる)。ポジティブな結論が出ることは悪いことではないんだけど、根拠が薄い…。「解消したいけど解消されないことがあって、解消されないまま引き伸ばされる。そしてためてためて、最高のタイミングで解消される」のが(ハッピーエンドの)面白い物語には必要だと思うけど、「解消」が極めて曖昧なのですっきりしない。

『Search』(ずっと電子機器の画面だけで物語が進む映画)を観たときに抱いた感想に近いかな。一般論的な結論(家族ってやっぱいいよね、的な)を出すこと、それ自体が薄っぺらいとは思わないんだけど、「なんでそう思ったのか?」、エピソードが弱いと安い感じになっちゃう。

『THE GUILTY』(緊急コールセンターの電話のやり取りで物語が進む映画)は、映画としても新鮮だったし物語もすごくよかった。しかもたぶんそんなに予算かかっていないと思う。表現の新鮮さと物語の強さは両立できるはずだし、そのためには絶対お金かけなくちゃいけないわけじゃないんだと思う。

・せっかくいろんな音楽を使ってて気持ちいいんだから、もっと4人が純粋に音楽を楽しんで、親からもらうだけが愛情じゃないのだと気づいたりできたら、もっといろんな人にオープンな映画になったと思う。音楽は彼らにとって虚しい存在でしかなかったのかな、という感じがした。

・時々旧来的な価値観…というか無駄な「ベタ」が見え隠れするのも興ざめの原因だと思われる。表現が今っぽいのに、価値観が古い感じがする。

特に、イクコちゃん周り。「お父さんと結婚するだろう?」って聞かれるとか、ピアノの先生がストーカー化するとか。

クラシックが悪いわけじゃないんだけど、それがあんまりよい形で作用してない気がする。表現の新鮮さの足を引っ張ってる感じがする。
(例えば『アナと雪の女王』は、お姫様という昔からいろんな子が憧れてきた要素を入れつつ、自立した女性を描いていたので、物語がちゃんと今っぽくてそれも新鮮さの後押しをしていた)

・13歳ってもっと性的にドロドロしてるんじゃないかな?という気もして。彼らの「表には出してないけど抱えてる暗さ」を表現するのに、もっと性については向き合ったほうがよかったのではなかろうか…どうだろうか…(直接的にエロいことしないにしても、『恋は雨上がりのように』みたいにシーンで色気を出すことは可能な気がする)。タケムラくんのおうちの暴力シーンのような『生』を感じるシーンがないと、彼らの感情がうまく表に出てきてないことが、ちゃんと浮き彫りにならない。イクコちゃんはラブホテル何回か使ったことあるんだろうな、って描写があったけどそれくらいで、その点では13歳である必然性があんまり感じられなかったかも。性やら暴力やらの衝動に自分を支配されてる年齢だからこそ、彼らがゾンビである(泣けなかったりする)ことの異質性が際立つのだと思うのだけど。
…あーこれだな、感情がないことの『違和感』があんまりなかったからカタルシスがなかったんだろうな…。村上春樹の小説みたいに、「デフォルトがこの温度感なんだろうね」って気がしちゃって、だから「どうか、元の感情豊かなみんなに戻ってくれ〜」みたいな、ハラハラした気持ちが持てなかったんだろうな…(「感情豊かでなければならない」という価値観に疑問符を投げてやりたい!、というオチもありだと思うけど、そうしたいならなおのこと効果的でない『ベタ』『旧来的価値観』を排除すべきだったと思う)。

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