見出し画像

昨日まで本当だったこと:『おやすみプンプン』

漫画というのはなんと自由なんだろう、と私は改めて考えた。

「プンプン」の住む世界は、プンプンたちと読者で見えかたが違う。

主人公のプン山プンプンおよびその親族は、落書きみたいな鳥の形をしている。最初は、ドラえもんのように、この漫画は変わった形の人たちも受容される世界で展開されているのだと思って読んでいた。「プンプンと愉快な仲間たち」的な漫画なのだと思っていた。

しかし、これはあくまで記号化のための試みなのだと、だんだんわかってくる。物語を読み進めていくと、その世界の人物たちには、プンプンや親族が人間の形で見えているらしいことが断片的に示される(例えば、プンプンが肖像画を人に描いてもらうシーンがあるが、そこに現れている輪郭は明らかに人間風である)。姿形だけではない。プンプンの名前も、我々が知っているものと、その世界の住人とでは、違う形に見えて・聞こえているらしい。

もう、これだけで新しくて、鳥肌が立った(鳥だけに)。


プンプンのふざけた名前およびビジュアル(しかし、かわいい)

の件に留まらず、この物語は「ほんと」と「うそ」の間を、何かの粒子みたいに、いったりきたりする。

清水くんには、もういないはずのお母さんが見えている。雄一おじさんは、約束していたのに、仕事が安定しても前の彼女と結婚しなかった。制服を着てカメラの前に立っていたのは女子中学生でも高校生でもなくて愛子ちゃんのお母さんだった。口論していたプンプンパパとママ、ママが倒れている、でもパパは、強盗が入った、って言う。

本当であることが、いやに重視される時代だ。
私が愛読していた婚活エッセイブログがある。Twitterで「作り話らしい」と疑われて、作者が特定されて、やっぱり嘘だった!と「釣り」認定したくて仕方ない人たちが騒ぎ立てて、そうしておかしなところでブログは終わってしまった。

私だって嘘をつかれるのが嫌いだ。
ずっと一緒にいたいと言っていてくれた人は、私の問題だらけの人格を前にして、大概何ヵ月かあとにその志を折る。地元に恋人がいると言っていた同期、その恋人は幻の存在で、社内の先輩と結婚した。

信じられるものなんてほとんどないから、ちゃんと本当のことを言ってほしい。

だけど私たちは、そんなに本当のことばっかりで生きていけない。


あんなに大好きだって言ってたのに、私は前の恋人のことを、もう友達だとも思えない。

今日本当だったことは、明日嘘になってしまう。それを、ただの嘘だと言って、線を引くことはできるだろうか?本当にしたかった気持ちは、嘘じゃなくても?本当に見せようとすることで、人を幸せにしていても?

信じたかったけど信じられなかった自分も、嘘になっちゃうんだもの。

諦めて、途方にくれて、でも時々「今度こそは」ってまた人を信じようとして、そうやってやっていくしか、きっとないんだろう。



この記事が参加している募集

コンテンツ会議

いただいたサポートは、ますます漫画や本を読んだり、映画を観たりする資金にさせていただきますm(__)m よろしくお願いします!