ケーキがない
東北へ一度ボランティアに行ったきり何もできていないからこんな小さなことを書いてもいいか悩んだけれど、忘れてしまうことも悔しいので、やはり書いておこうと思う。
2011年3月11日、私は上海の巨大な本屋にいた。
「日本で大きな地震が起きたみたいです」と、一緒にいた中国人の女の子が携帯を見ながら教えてくれて地震のことを知ったけど、大きな地震ってどれくらいのもんなんだろう、と、まるで想像できなかった。
実家に連絡してみると、テレビが振り回されて倒れそうになった、今まで体験したことのないような嘘みたいな揺れだった、それでも人間は無事、との回答が来る。
その後、上海の地下鉄のホームで、津波の映像が流れているのを見た。
本当に起こっていることが映されているようには、どうにも思えなかった。ましてや、日本の出来事だなんて。
中国人の優しい女の子たちは大層心配してくれて、でも、私は実感とは程遠い場所にいた。
いったん事態が落ち着いたように見える頃、私は帰国した。乾麺やらクッキーやらを中国でごっそり買い込んで、スーツケースに詰めた。よく考えればそれらは、本気で腹の足しにしようとしているとは思えないラインナップだったけど、仕方がなかった。わからなかったのだ。食料が店からなくなってしまうことなんて、これまで経験したことも、想像したこともない。
中国でおいしいものをたんまり食べたことが、急に後ろめたくなる。
日本に降り立つと、中国に行く前と比べて、少しだけ何かがずれてしまったみたいだった。
薄暗い空港、電車の中の変な雰囲気、みんな不安になったけど、一番ショックを受けたのは、アルバイト先の光景だった。
当時私はケーキ屋でアルバイトをしていた。
空港からターミナル駅までバスに乗って、そこから電車で帰ろうと思っていたのだけど、アルバイト先はちょうどそのターミナル駅にあって、どうせだから店の様子も見ていこうと思った。倉庫に積まれていたダンボールの中にたくさん詰まっていたクッキーは無事、食べるものなら何でも買うという勢いでお客さんが押し寄せた、とにかくケーキが売れた、だけど電気が使えなくてレジが打てなくって、電卓で金額を計算したの、物流がうまく回らなくてしばらく新しいケーキは入らないみたい、と、バイト先のエヌさんのメール。
それで、状況は知っていたのだ。
しかし、そのガラスケース、
ぜんぜんケーキが入っていないガラスケースを目の当たりにすると、
もうおしまいだ、という気持ちになった。
営業時間中なのに。
いつもならいくつかなくなったらすぐに補充するのに。
日々売れ残ったケーキを食べて生クリームにうんざりしつつあったけど、それでもガラスケースを見るのが好きだった。
いちごをふんだんに盛り付けたロールケーキ、りんごや梨のタルト、モンブラン、シュークリーム、長いのや丸いの、豊かさを魔法で固めたみたいな洋菓子が並ぶのを見るのは、それが何度目でも幸せだった。
それが、ほとんどみんな、いなくなってしまった。
衣食住に関わることを仕事にしていれば食いっぱぐれない、とよく言われる。
しかし衣食住にも、娯楽がある。
ケーキは娯楽だ。
ケーキがなくても、人は生きていかれる。
だから。
そんなケーキが、命を繋ぐために買われていったことが、とても恐ろしかった。
世界はもう、もとの形には戻れない。
私が好きだった豊かな世界はどこかにいってしまった。
そう思った。
その後一度も、震災について「実感」をもったことはない。
それでも、ケーキ屋にたくさんケーキが並んでいるのを見ると、心底ほっとする。
私は、ケーキが買える世界のことを愛している。
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