スペシャルサンクス(3441文字)

 割と深刻に悩んではいるのだけど、いつでも呼べば来る友達というのが、ろくでもない奴らばかりになってしまった。
 詐欺まがいの商売をしているとか、何らかの反社会的な集団に属しているとか、そういう種類のロクデナシというわけではなく、とにかく自分の世界から出てこないタイプである。
 例えば友人Aはネットゲームの世界で日夜冒険の日々に明け暮れており、友人Bは動画投稿サイトで動画を投稿したり動画を閲覧したり、友人Cは漫画家を目指していたが半ば諦めて定職に就くわけでもない。それぞれ実家住まいで慎ましい暮らしを続けている。
 そういう私は何をしているかというと、フリーターだった時期もあるが、基本的には自立して働いており、つい最近になって払わなければならないものを払い終えて、数年は過ごせる生活費を貯めると、面白くない仕事に人生の時間を大幅に削られることが馬鹿らしくなり、仕事をやめた。
 ABCの友人には会いたいと思わなかった。彼らはそれぞれ居心地の良い場所を見つけていた。彼らと出会った学校や職場には私も彼らも既にいない。彼らが呼べば来る友達でいてくれたのは、私が酒を奢ったからだ。彼らの話は面白くなかったが、私はそれでも満足した。私の話す仕事のことなど彼らは興味を持たなかっただろう。気晴らしがしたかっただけ。そういえば、彼らはこちらから連絡しなければ、向こうから声をかけたりはしない。

 とりあえず働いていれば自尊心を保てる気がした。千葉健太はそう思う。非正規労働であっても。
 出版不況により、漫画家アシスタントの仕事も削減される傾向となり、千葉健太は他のバイトを掛け持ちしながら続けていたものの、いつのまにか他のバイトが主な仕事となりつつあった。
「チバケン君、ちょっと締め切り間に合わなそうだから手伝ってくれない?」
 プロの漫画家フジイヨウコから突然に仕事を頼まれてしまった千葉健太は、自分が必要とされたことを少し得意気に思う。
「僕も忙しいんですけど、ヨウコ先生の頼みなら断れませんね」
 ヨウコ先生の口から発せられる「チバケン君ありがとう」という言葉が身に染みる。
 ヨウコ先生は自分と違って才能があるから、プロの漫画家として活躍している。過酷な労働環境であり、素晴らしい作品を描いても、よっぽど売れなければ、収入は多くない。割に合わない仕事だ。それでも作品を残すことができる。
 フジイヨウコの漫画に貢献することが、漫画家の夢を諦めた自分への弔いであるように、千葉健太は感じていた。

 その頃、千葉健太は羊田先輩と再会した。
 羊田先輩とは学生時代にバイト先で出会った。羊田先輩は作家を目指していて、漫画家志望の千葉健太を可愛がった。
 進学や就職で互いに忙しくなり、連絡を取らなくなって数年。何かのライブのチケットが余ってしまったので一緒に行かないか、という誘いをきっかけに会うようになった。話してみると数年間、互いに生活圏はさほど変化なく、なんとなく会っていなかった。
 ライブには行けなかったが、飲みに行くことになった。会計は羊田先輩が払ってくれた。
「君には漫画を描いてほしいなあ」
 苦笑いで「僕はもう諦めました」と千葉健太は答える。
 意外なことに、羊田先輩は作家になる夢を諦めていない様子だった。現在は創作活動に必要な資金を貯めているとのこと。
「でもね、今の俺がやっている仕事は、本当に面白くないし、最近は疲れ果て創作活動には手がつかない。必ずしも目標金額に達する必要はなくて、さっさと辞めてしまうべきなのかもしれないんだ。そもそも文筆業なんて、紙とペンさえあればできるものだし、借金をして追い込まれてる人なんかのほうが頑張れるという考え方もある。つまりね、何が正しいかなんて分からないから、今日は楽しく君と酒を飲みたいと思ったんだよ」
 千葉健太はカルピスサワーを飲んだり、鶏の軟骨を食べたりしながら、羊田先輩の話を聞いた。浮世は思い通りにならない。羊田先輩は羊田先輩なりに頑張っていて、千葉健太は千葉健太なりに頑張ろうと思った。
 数か月後、再び羊田先輩から誘われた。
 今度は沖縄料理の居酒屋だった。もちろん会計は羊田先輩が払った。
「君には漫画を描いてほしいなあ」
 苦笑いで「僕はもう諦めました」と千葉健太は答える。デザートのサーターアンダギーが待ち遠しかった。
「今の俺がやってる仕事は本当につまらなくてね、俺の才能も擦り減ってなくなってしまうような気がして怖いんだ。いつでも辞めていいくらいの貯金は既にあるんだけどね。生活を安定させることも大事だけれど、文筆業なんて紙とペンさえあればできるものだし、借金をして追い込まれてる人が優れた作品を残した例なんかもある。そんなこんなで疲れてるから、今日は食べたいもの食べて飲みたいもの飲もうじゃないか」
 千葉健太はシークワーサーサワーやオリオンビールを飲みながら、ミミガーやラフテーやゴーヤチャンプルーや沖縄そばを食べながら、羊田先輩の話を聞いた。辛そうだから仕事辞めればいいのにと思った。
 羊田先輩からの誘いは続いた。羊田先輩の話は内容に変化が乏しいため、千葉健太は様々な料理と酒を楽しむことにしていた。諸事情により、羊田先輩の誘いを断ることも多くなった。
 漫画を描けとあなたは言うが、あなたこそ、夢を諦めて楽になったほうがいいのでは。
 ただ絵を描くことが好きだった。絵を描くことで生活しようと考えたのが間違いだった。それに気付いてから、再び絵を描くことが楽しくなった。才能がないから仕方ない。
 浮世は思い通りにならない。羊田先輩は羊田先輩なりに頑張っているし、千葉健太は千葉健太なりに頑張ろうと思った。

 羊田先輩と違って才能のあるフジイヨウコの新刊が出版された。千葉健太もアシスタントとして参加しており、とても思い入れのある作品だ。
 SNSを駆使して宣伝に努めるのも使命であると千葉健太は考えた。
 しばらくして、羊田先輩が反応した。
「君がアシスタントやってる漫画を買ったのだけど、思った以上に凄い作品に関わってるんだね。これは名誉ある仕事だよ」
 嬉しい言葉をかけられた千葉健太は「お買い上げありがとうございます」と素直な気持ちで答えた。
「でも少し気になったところがあってね、この漫画の主人公の男の子、見た目が君にそっくりな気がするんだけど」
 羊田先輩は鋭い指摘をした。千葉健太も薄々と気付いていた点である。フジイヨウコ先生は気難しい人であるため、本人に訊きにくかったが、正式なインタビューで某有名ミュージシャンがモデルであると答えている。それに千葉健太に似てしまったとしても、ただ単に身近な人間を見本にして描いたという話ではないか。
 羊田先輩は続けた。
「内容が内容だし、もしかしてそういう関係なのかなと思ったりして」
 この人は、厄介な質問を投げてくる。今回の新刊にはエロ描写が多く含まれていて、そのあたりの関係について訊いているのだ。少し焦りに似た感情を覚えた千葉健太は答える。
「何を言ってるんですか。何もないですよ。残念ながらあり得ませんね」
 すかさず羊田先輩は投げ返す。
「まあこないだ連れてったメイドカフェでさえ、君は面白い反応だったし、やっぱりそういうのはないか」
 千葉健太は腹が立った。人をからかうのもいいかげんにしろ。羊田先輩はそんな気配を察知したのか、
「素晴らしい作品を紹介してもらったから、今度お礼にまた奢ってあげるよ」
 と付け足した。
「よろしくおねがいします」
 と千葉健太は答えた。
 これらのやりとりは公開されたSNSで行われていたため、フジイヨウコに目撃されていた。その後、羊田先輩により目撃されたのは、フジイヨウコから「好きなところへ遊びに行っていいのよ」と責められる千葉健太の姿だった。

 こうして千葉健太こと友人Cは羊田先輩こと私の誘いに応じなくなり、こちらも誘いにくいような雰囲気になってしまった。
 きっと、あの人に関わるとろくなことがない、と思っているだろう。
 羊田先輩も千葉健太もフジイヨウコも実在しない。たまたま似ている人がいても気のせい。そう主張しても納得はしてもらえそうにない。
 しかし私は心の底から友人Cに感謝している。この作品を書き上げられたのは、Cの存在がなければあり得ない。
 友人AやBに比べると魅力のある人生をCは過ごしているからこそ、本作において主役の立場となれたのだ。
 彼が漫画作品に貢献することで得られた自尊心や拠り所を、私の作品に貢献しても得られないであろうと考えると残念である。

投げ銭が貰えるとやる気が出ます。