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英語系サービスがネイティブ、ネイティブと煽ってくる理由

粗悪系の英語コーチングや語学学習サービスのネット広告は履いて捨てるほど湧いてきます。そのようなサービスの「ネイティブ信仰」は異様なほどに強く、僕が感じる語学学習のあるべき姿とはあまりにもかけ離れています。

これまで、なぜここまで的外れなサービスが乱造されるのか常々疑問に思っていたのですが、自分なりに考えがまとまったので、今回はこの辺の話をしたいと思います。

※以降では、「ネイティブ信仰はまったく意味ない」という立場で話を進めます。また、僕の仮説的な意見がけっこう含まれています。

崇高で誇り高い、誉れ高きネイティブ像

英語学習業界がコンプレックスビジネスと揶揄されていることが以前ありましたが、個人的にこれは半分あっていると思います。カタコトのサムライイングリッシュではずかしい思いをしたくない。英語をいざ使うシーンで恥ずかしい思いをしたくないから頼れる誰かに任せたいけど、どうにもならない。そのような「コンプレックス」につけいって煽るのが、現代の英語サービスの常套手段です(実際に湧いてくるネット広告のクリエイティブを見れば、そのような意図を容易に想像できます)。

「ネイティブ」というワードのもつ煽る力はとても強いです。なんかかっこいい、自信にあふれている、みたいな、勝手な妄想でネイティブのすごいところを勝手に肥大化させていき、それに応じて自分をみじめな思いに追い込んでいきます。

また、これは僕の実体験ではないのですが、ネイティブっぽさ、が重視されしまっている実例もあります。

まとめると、粗悪系英語学習サービスが提供する価値は、体系的にまとめられた、地味で時間のかかる学習パスを示すことではありません。そうではなく、英語ができないと恥ずかしいという潜在意識をつついて、キラキラネイティブの虚像をみせてそれに憧れさせるという、もはや語学学習とは関係ないんじゃないかと思えるようなものです。

的外れなサービスは基本相手にしない方がいい

僕に言わせれば、ネイティブとノンネイティブの左右の対比である場合を除き、ネイティブという言葉を使う時点でアウトです。ユーザーとしての自分自身の意図がコンプレックス克服なのか、語学学習なのかを今一度クリアにして、粗悪系サービス(これには大手が提供するものも含まれます)から逃げるようにしたほうが良いと思います。

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