ショーコ

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自分を超えて行く

自分てこういう人だ っていう自分ていうのは、 過去の経験から出来上がった自分であって、 必ずしもそれを今後も引きずって進む必要はない。 純粋に今くるエネルギーに忠実に生きられたなら、 自分がこう思ったからとか あの人がああ言ったからとか そういうのを超えて、生きられる。 自分のせいとか誰かのせいとか、 そういうことがなくなる。 誰かを気遣いすぎる必要もないし、 誰かの期待に応えすぎる必要もないし 純粋にエネルギーに乗っていけばいいだけ。 誰かを気遣うことはいいことの

    • 間(マ)

      自分を生きようと思ったとき。
 自分だけの道なき道を探索し始めたとき。 内省する時間が自然と増える。(人によるのだろうか?私の場合の話である) 今まで外側の情報に「反応して、行動する」という慣性の法則のごとく自動運転していた人生や過去の自分に疑問が生じてくるからだ。 反応して→行動するの間のこの「間(マ)」が重要だ。 これは本当に自分の価値観だろうか? 今まではこう生きてきたけど、これからの自分もこう生きていきたいのか? などなど、ありとあらゆることを問いただす時期であ

      • 主観と客観

        自分を生きようと思ったとき。 自分だけの道なき道を探索し始めたとき。 主観と客観の両方が重要だ。 子供の頃は「主観」で生きている。思ったことを思ったままに発言し、やりたいことをやりたいようにやる。主観領域の 直感的・感覚的な力をフルに活用して生きている。 だが、何らかの理由で、「主観」をうまく発露させられないことが起きてくる。 親の影響はもちろん大きい。生まれた国の文化もあるだろうし、先生、友人、与えられた環境によって、NGとされることに社会適応していくたびに、「主観」は

        • 健全な懐疑心をもって、人生に挑む。

          自分を生きようと思ったとき。 自分だけの道なき道を探索し始めたとき。 必要だなと思うことの一つに、 健全な懐疑心をもって世界を眺めてみるという試みがある。 人は一人一人違うはずなのに、自分をどこかの誰かと同じように扱う。そこにズレが生じる。 もちろん、人生において誰かと共感できる喜びというのは、とてつもなく大きいのだが、共感することと同調することは分けなければいけない。 ある一点で共感したからといって、その人の方法論や意見や概念が自分にも当てはまるとは限らないのだから。

        自分を超えて行く

          自分は変わったのに家は変わってない

          20代の頃にインドで占いをしてもらった時に、あなたはたくさん引っ越す人生だよと言われたのだが、本当にその通りの20代だった。 ____ ところが今の家に住んで丸8年。もうすぐ9年目を迎える。越してきた頃は、長女が0歳。結婚生活も初々しい頃だった。 7年たった今、自分の価値観は激変してしまった。海派だったのに、今は山派。(どっちも好きだけどね) 焼肉はあまり食べられなくなり、胃に優しいものをチョイスする日々。(加齢) 昔はハイスピードで飛び回るのが好きだったけど、今はハイ

          自分は変わったのに家は変わってない

          アーティストへの憧れ

          なぜに昔からこんなにアートやアーティストに惹かれてきたのかと、はたと考えてみた。 ようは、自分のリズムで生きたかっただけなのだ。自分の音を、色を出したかっただけなのだ。(アーティストがそれを体現しているわかりやすい人物であったのだろうね) なーんだ、そんな単純なことと思うかもしれないけど、誰かに合わせることになれている人間にとっては、自分の世界の「いま」に集中していない。過去や未来や、誰かに焦点をあてている。自分の音や色さえ、忘れてしまっている。 だから、いつも違和感を

          アーティストへの憧れ

          ---One Road---

          いついかなるときも、完璧はないし、 完璧と思っても次の瞬間から壊れるし、 一人では何も完成されることはないし、 絶対的な正解も不正解もないし、 ただただ、いまというその時に起こることを大切に生きるしかないって気づくまで、 周りを鏡にして自分を探す。 人生ゲーム、いとをかし。 だけども、その目の前に「ある」その道が、どんなに辛くて険しくて、たとえ思い通りじゃないとしても、 それが自分だけが通ることが許される一本道なんだって気づいたら、そっぽ向いてないで、痛みとも愚直

          ---One Road---

          ドライな子育てのすすめ

          子育て、順調ですかーーー?? 私はというと、6歳と3歳の娘たちに日々翻弄させられています。特に3歳。苦笑 子育てって、きびすぃぃぃーーー 仕事している方が断然ラクっっ ってお方、結構いらっしゃるのではないでしょうか? 私もそのひとりです。 しょうじきな話、理論的な話の通じない相手とのやり取りって、本当につらたん(T_T) こうこうこうだから、こうですよね?みたいな話してる方が、めっちゃラクな私としては、子育てすなわち日々修行なわけです、はい。 先日、ランチしていたときに

          ドライな子育てのすすめ

          「マルチ・ポテンシャライト」何者でもない生き方

          「マルチ・ポテンシャライト」という言葉をご存じでしょうか? 私がこの言葉を知ったのは数年前。会社員として働き、十分な収入を得ながらも、なんだかモヤモヤとして働き方を変えたいと思っていた頃。 それを知ったときの衝撃たるや。 私が生きたい生き方はこれだ!!!!と。 「マルチ・ポテンシャライト」 さまざまなことに興味を持ち、多くのことをクリエイティブに探求する人。 (別名:博学者、ルネサンス人、何でも屋、ゼネラリスト、スキャナー) 好奇心旺盛で、新しいことを学ぶことが大好き

          「マルチ・ポテンシャライト」何者でもない生き方

          自分の音

          自分の音を思い出したかったら、 はらの声に耳をすませるといい。 根気強く、寄り添っていれば、 どんどん自分のコトバが溢れだすはず。 音がともなうコトバは、出てきたからには 受け取ってくれる相手がいるはずなんだ。 いつもなら飲み込んでしまうコトバも 少し勇気を出して、出してみる。 相手を想って伝えたならば、 一時のすれ違いはあれど、いつかはつながる。はず。

          自分の音

          子供であり大人である

          どんな思考も どんな感情も あるがままに 観れますように。 子供のように振る舞うことが許されなかった子供は 心を閉ざし 身体を縮め ひっそりと息を潜めて生きる大人になる。 まっすぐすくすく生きていけますように。 弱さも強さも含んで。 子供すぎる大人ではなく 子供を含んだ大人になる。

          子供であり大人である

          よりストイックに。

          いかに日々自分を責め続けているか。 自分を責めることをカンフル剤として、頑張らせ続けているか。 気づくことから。 相手を責めることで、そこにいる自分を正当化してないか? 相手が君に教えてくれたことは何? そこに本当にエネルギーを注ぎたいのか? そこは本当に自分の居場所かい? 幸せのためにとかじゃなく よりストイックに生きたい。

          よりストイックに。