見出し画像

私の短い、〈研究〉をめぐる回顧録。

 今日は8月14日。お盆のど真ん中で、大学は明日までお休み。今年の前半は、学会をホストしたり、ゲストを迎えたり、ローカルアントレプレナーシップの森づくりイベントを開催したりと、とにかく慌ただしく過ぎていった。そんな折、7月中旬の大雨で秋田市と五城目町を中心に大きな被害があった。完全復旧までにはまだ時間がかかりそうだけれど、そんななかでも大学は通常運行で学期末を迎え、短い1ヶ月間の夏季休講期間に入り、私は秋田をしばらく離れて過ごしている。日常が起きる場所から物理的に離れると、いつも取り組んでいることについて見つめ直すことができる。こういう時間がずっと必要だった。そんななかで考えた、今日は〈研究〉について。


1.〈研究〉って何をすること?

 大学での研究と教育を生業にすることができるようになってから、今年で9年目になる。大学院を目指しはじめたのが大学2年生の頃だったので、そのとき23歳だった自分から考えると、〈研究〉というものが私という人間のなかで大部分を占めるようになってから、今年で15年目になる。

15年という時間はどういう時間だろうか。この時間を「15歳」と読み替えれば、今は思春期まっさかりだろうから、何かしらの己事究明的なことに思いを馳せてお盆を過ごし、こうしてnoteに書いておくというあたり、実際に15歳だった私が担任の先生と交換日記をしていたことと、やっていることに何ら変わりがないなと微笑ましい。

ところで、自己紹介のときに、「大学で教員をしています。」と言う。私のなかでこれはちょっとした逃げで、ちょっとした嘘でもある。ありがたいことにそうした私の小さな迷いを見透かしている友人たちは、私のことを他人に紹介するときに、「研究者のクドウさんです」とか「何やってるかよくわからないけど、クドウさんです」と紹介してくれる。句点が付かないままの空気感という絶妙なパスによって、私は何をしているのかを話す時間を与えてもらえている。そう、私の本当の自己紹介は、「クドウです。研究者です。」なのである。

このときの〈研究〉っていったい何をすることなのだろうか。研究者って、つまり何をしている人なのだろうか。

2.クドウちゃん、

 私にとってはほぼアイデンティティについてのこれらの問いに、私は、大学で研究員として働きはじめてから3年目くらいまでは、学部生の頃にフィールドワークを教えてもらった先生の言葉を頼りにしていた。

その先生は、在野の民俗学者。朝ラーと日本酒をこよなく愛する人で、普段は大学とは縁遠い人だった。偶然の連続で、私はその先生と秋田県内の民俗芸能アーカイブ作成事業でご一緒することになる。今では多言語化されて情報量が多くなったが、当時はサイトも簡易的なもので、1分の短い動画と芸能についての解説文が付いている程度だった。それでも動画付きのアーカイブは珍しいものだったし、秋田は無形文化遺産の登録数が全国で最も多い県なので、この分野に関心のある人たちにとっては意味のある仕事だった。

フィールドに入るとき、その先生はいつもスーツにネクタイ姿だった。そのくらいの年配の男性にとって、出かけるときの身だしなみというのはそういうものだったのだろう。撮影係の私も現場にジーンズとTシャツで赴くことは禁止されていて、相手に失礼にならない格好で来るようにと言われていた。どんな装いが失礼にならないのかは、現場の数を熟していくことで徐々に分かるようになった。

民俗芸能は8月に集中する。特にお盆の時期は、1日のうちに2〜3件を掛け持ちしなければならなかった。暑い盛りのこの数日も、きちんと夏のスーツに身を包んだ先生と、冷房を効かせたマーチで現地に向かう。道中、前回の道中ではあそこで朝ラーして旨かったとか、この時期は辛味大根を薬味に冷たいそばを食べながらの冷酒が最高だとか、そういう風土・FOODについての話をいくつも聞かせてもらった。はじめのうちは展開の読めない話の落ちに困惑しつつ、徐々に緊張が溶けるなかで、先生の研究についての考えに触れることができた。

ある調査の帰り道だったかと思う。その先生に「研究ってなんですか?」とストレートに聞いたのだろう。そのとき、少しずつ先生の踏襲する柳田國男スタイルのフィールドワークのやり方に疑問を感じはじめていた。大学院進学のために読んでいた本のなかでは、「仮説を立て、データを集め、分析を通じて仮説を検証する」という行為が、研究として示されていた。客観的であることに重きが置かれ、主観的であることはなるべく回避するべきこと、というメッセージがあった。

先生のやり方はこれにまるではまらない。現地での立ち振舞を見ていると、現地に行く、町内会長などの代表の人に挨拶をする、催事の様子を少し遠巻きから見る、地元の人に立ち話程度に話を聞く、代表の人とも立ち話程度に話をし、挨拶を済ませて帰路につく。これだけ。一見したらただの聴衆と変わらない。仮説やデータ収集などの設計はまるでないように見えるし、解釈や分析も先生のなかですべて完結する。だから客観性のようなものがあるのかどうかもよくわらかない。

 そんな懐疑的な私の視線を察してか否か、私の夏の甲子園のような直球の質問に対し、先生は、「クドウちゃん、研究っていうのは文字どおり、武士が自分の命をかける刀を研ぐときのように真剣に何かについて究めることですよ。」と言った。

 後でわかったことだけれど、先生の頭のなかにはこれまで何十年も積み重ねてきた現地調査の記憶がある。加えて、秋田の民俗や風土に関する書籍や古文書の類について、どこにどんな記述があるのか一通り把握していて、そうした地元の民俗が日本全体の文脈のなかでどういう位置づけにあるのか、ということについても古事記や日本書紀などに紐づけて語ることができた。つまり、先生の知見の蓄積それ自体があることで、仮説を如何様にも即興的に立てることができるし、実際の行事を見ていれば、いくつもの仮説がその場で検証を経て、連続的に再構築することができたのだろう。だからデータ収集は気がついたことのメモ書き程度でよかったのだ。まさに居合斬りのような瞬間のアート。

 武士が刀を研ぐように何かについて究めることはつまり、そのことについて語られていることを一通りすべて知っていて、その知識のプールを持ちながら、目の前の現実を解釈していくこと、ということだった。大学院を出るまでの私はそういう先生のスタイルに憧れを持っていた。今でも先生の、一見まるでフリースタイルな現地への入り方を、私はとても大切にしている。

3.研究者というプロフェッション

 お世話になった民俗学の先生の説明が、私のなかでぴたりとはまらなくなってきたのはここ5〜6年のこと。「武士が刀を研ぐように真剣に何かについて究めること」という説明は、研究という行為については説明しているけれど、「なぜそれをするのか?」という目的については語っていなかった。

 武士ならば自分の尊厳や命という至極個人的なモチベーションがあるわけだけれど、研究者も同様でよいのか。「自分が知りたいから」という動機がメインで研究しているとして、そういう個人を許容できる状態は、とても寛容性の高い社会だなぁと思う。とはいえ、自分が納得するためにはもっと踏み込む必要があるし、何よりも、「クドウです。研究者をしています。」という自己紹介のあとに、研究者が何をする職業なのかくらいは、自分の言葉で語れるようでありたい。

4.〈なるべく〉自由に考える

 研究にしろ日々のあれこれにしろ、私は考えごとがあるときに、その瞬間瞬間(ときどき)に考えていることを書き出していかないと、考えを前に進めることができない。今考えていることを一旦書き出して、見えるところに置いておく。そうしないと、その考えの先にある考えをつくることができない。

 この書き出す作業をパソコンやスマホでできたなら、noteを毎週更新することもそれほど苦ではないのかもしれない。けれど、どういうわけかこの書き出しの作業は、紙とペンでないと上手くいかない。どうやら質量を持って頭のなかの考えが身体の外に出てくる感覚が大事なようだ。

 紙はノートのような綴になっているものだとダメで、らくがき帳のようにに1枚ずつばらばらにできるものに限る。ペーパーレスの波もなんのその、大学にいると多種多様な書類を渡される。この裏紙なんかが、実は最高のアウトプットキャンバスになる。ペンも少し太めの水性マーカーでなければ上手くいかない。そのとき考えているテーマについて浮かぶ言葉を、編集せずにそのまま書き出す。順序も一切気にしない。とにかく身体の外に出す。

 このとき、「〈なるべく〉自由に考える」ことを意識している。直感的につながりを感じた事柄なんかもどんどん書き出すようにする。思いつくという時点で何かしらのつながりを知覚しているのだろう。その道筋を辿るのはあとからでいい。

 なぜ「なるべく自由に考える」ことが大事なのかというと、どんな人に届けたいのかとか、誰の何のために役立つのかとか、そういう利他的な気持ちで考えを進めると、肝心の考えている自分が不在になってしまうからだ。別の言い方をすれば、そういう内容を考えるのは自分でなくてもよく、いくらでも代えがきくことになる。それは少しさみしい。

 今この文章を書いている私という存在は、他の誰かでは、まるで変えが効かない。同じテーマについてまったくの同意見を持っている人間どうしだって、一語一句同じ言葉の選択をして気持ちを表現するなんてことはない。そして、そもそも誰もが表現するための言葉を持っているわけでもない。だから、「なるべく自由に考えること」は、発せられる言葉の存在とほぼ同等に意味がある。

 自由に考えるということは、慣習や他人の意見に縛られずに考えらるということでもある。私たちはほぼ無自覚に、社会やコミュニティといった像が、どんな反応をするのかを気にかけている。こうしたものから解放されていなければ、そもそも自由に考えることなどできない。それでも完全に解放されているという状況はなかなか想像しにくいので、「〈なるべく〉自由に考える」というわけである。

 自由に考えるということは、実は、相手の話をよく聴くということともつながる。なぜなら、他人(=別の自分)の考えを丁寧に扱えない状況は、自分自身の考えについても自由でいられていないことと同じだからだ。

5.本当の自己紹介

 こうしてなるべく自由に考えて、言葉で表現されていくとき語られるものは、少しずつこの世の中に「ある(在る)」ものになっていく。私にとって考えていることを言葉や文章にすることは、表現することであり、この世のなかに「ある(在る)」ことを認知することと同じだ。

 この行為は、「言語化」とも言われる。そして、そういう術を鍛え、持っているのが研究者というプロフェッションなのだろう。今の段階の私にとっての研究者が何ができる人かということについては、次のとおり。

 研究者は、「言葉」を持つ存在。研究対象を言葉で表現することで、世の中に何かを「ある(在る)」状態にすることができる。そういう術を持っているプロフェッション。

 研究者の言葉によって表現され、世の中にある状態になる内容が普遍的でなければならないのかどうかについては、意見が分かれる。私自身はその必要性はないと考えている。

 例えば言葉として数式を持つ研究者は、数学という世界のなかにおいて普遍的なことしか語れない・語り得ないというルールのなかにある。技術を言葉として持つ研究者の、工学や農学という世界。設計を言葉として持つ研究者の、建築や計画という世界。それぞれの認識論のなかで成り立つ世界のそれぞれにおいて普遍的ではあれど、世の中を網羅する知があるとするかどうかについては、私は懐疑的である。だってここで語られている言葉ほどに人間的なものはなく、非人間が持っている言葉を私たちはまだ極めて限定的にしか理解できていないのだから。

 ライター、カウンセラー、役者、教師、政治家などなど、世の中に言葉を使うことを専門とする職業はたくさんある。では研究者は彼らとどう違うのか。役割が重複する職業も多いが、私はそれは、言葉を創る側と使う側の違いかと思う。研究はまだわかっていないことを対象にする。わかっていることとはつまり、既に語られていることであり、既に語られているのだから、言語化が成されているもののことである。わかっていないことを対象とするということは、まだ語られていないところを扱うということなので、語るための言葉から新しくつくる必要がある。

 すべてを語ることがそもそもできないかもしれないという前提を忘れることなく、なるべく自由に考えて、そこから言葉で表現する。そうして語られた事柄が、世の中に在ることになる。これを私は生業にしています。というあたりが、今のところの、私の本当の自己紹介になりそうだ。

 大袈裟に社会正義とか世代間公平性とか、そういうことのために言葉にしようとは思わない。むしろ、言葉にして世の中の片隅に置いておくことで、「あぁ、こんなこともちゃんと考えて言葉にしている人がいるのだな。」というような誰かの安心につながったらいいなと思う。といったあたりで、句点が打てそうだ。

 明日は15日、今年のお盆も終わる。明日から年末まで、またカタカタと書いていこう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?