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アンビバレントな感情、それらに共通するもの

在宅フリーランスを始めて、今年3月末で1年が経った。
この1年を簡単に振り返る記事はまた別に書きたいと思うが、障害者雇用ではあり得ないくらいの金額を稼ぎ出すことができたのは良かった。

同時に、川崎市から札幌市に移住してから、今年4月下旬で2年になる。
賃貸の契約は更新を迎えることになり、退去時の違約金支払い義務も消失する。
というわけで、ようやく札幌から気兼ねなく出て行ける状態になったわけだが、今後はどうしようか。

札幌に対する私の感情は、一言でいうと「アンビバレント」に尽きる。
好きでもあるし、嫌いでもある、というのが正直なところだ。

好きなところを簡単にまとめると、以下の通りになる。

  • 公共交通(特に地下鉄)が便利

  • 市街地面積が狭く、徒歩や自転車でも気軽にあちこちに出かけられる

  • 本州と比べて夏が涼しい、冬もそれほど寒くはない(住宅の断熱性、気密性が高い)

  • 街が整然とした作りになっていて、公園も多い

  • 都会過ぎず、田舎過ぎない

  • 東京にいるような、ガヤガヤした煩い若者があまりいない

  • 家賃が安い(それ以外の物価はあまり変わらない)

  • 観光地として知られ、国内外から多数の人が来訪する(地元民だけでなく、外から来た人にも開かれている)

  • 障害福祉が比較的充実している(「交通費助成」制度は特に有難い)

一方で、嫌いな部分についてまとめると、こんな感じ。

  • 交通マナーが良くない、交通ルールを守っていれば起きないであろう事故があちらこちらで起きている

  • 自家用車で移動する人が多く、公共交通(特にバス)が軽視されがち(これは札幌だけでなく、ほとんどの地方都市で当てはまることだが)

  • 国民健康保険料が比較的高い

  • 貧困率が高く、貧困を原因とした犯罪(強盗など)が頻発する

  • 「細かい事は気にしない」、モラルが低い行動を取る人が一定数いる

  • 札幌や北海道以外の地域を知らない人が多い

  • 札幌圏以外(道外含む)の地域に行きづらい

  • 喫煙率が高い、歩き煙草が多い

以上が、私が2年間住んでみて分かった札幌の持つ特徴である。
札幌の良し悪しについて書かれた他の人のブログを見ると、忖度して良いところだけしか言わない人、悪いところを言っても「冬の寒さ」や「雪」など、当たり障りのないことだけを述べる人が多い。
(もしくは、私が神経質すぎるがゆえに悪いところが目につきやすいだけで、性格が鷹揚な人にはあまり気にならないのかもしれない。)

ただ、一部の記事には、私のように道民の交通マナーやモラル、喫煙率の高さなど、札幌に住む「人」に起因する問題を指摘している人もいるため、私が言っていることはそれほど的外れではないと思う。

とはいえ、札幌に住む人が皆嫌な人ばかりかと言えばそんなことはない。
一昨年冬~昨年春に経験したアルバイトでは、バイト先の方々に良くしていただいたし、「サービス三流」と言われがちなサービス業でも、丁寧な接客をしてくれる方が多い。

大抵の人は良い方で、まともな人たちなのだが、一部の人の奇行非常識な行為が目立ってしまう。
それを見るたびに市民全員が非常識な人に思えてきてしまい、「札幌って嫌だなあ、本州に帰りたい」と思ってしまうのが正直なところである。

私は非常に神経質な人間であるため、今までも似たような愛憎交錯する感情を抱くことはしばしばあった。

例えば高校・大学に通っていた時。
私の卒業高校は地元トップの進学校で、優秀な生徒の多い学校であったが、私が入学する前の年に、生徒が教師の指導が原因で自死するという不祥事が起きていた。

私はその不祥事に対して大変憤っていて、一度不祥事を世間に知らしめようとウェブサイトの制作を目論んだことがある。
結局サイトを作ることはなかったのだが、それでもその不祥事が原因で私は高校に対して懐疑的な感情が湧き上がってしまい、その後も教師から「そんなに休むなら通信制に行けば?」と言われて揉めるなど、高校や教師を敵対的に見ることがよくあった。

とはいえ地元トップの進学校という、高校の持つブランドや、大学進学に特化した部分は好意的に思っていて、決して高校が嫌いだというわけではなかった。
卒業後も高校のOB・OGが組織する校友会のウェブサイトやFacebookを頻繁にチェックしており、今でも動向を確認しているが、友達はいないので同窓会には参加していない。
(というか、同窓会が行われているのかすら分からない。)

大学に関して、私の卒業大学は誰でも知っていると言われる有名な難関私立大学であるが、ちょうど私が1年のときに学生が不祥事をやらかしていた。
例えば、某研究会の男子学生が女子学生を強姦、ミスター○○に選ばれるほどの有名学生が女性を強姦するというものや、コンビニでアルバイトをしていた学生がその非常識な行動で炎上し、大学名をひけらかしてさらに顰蹙を買うなど、散々であった。

しかも、何の因果かそのタイミングでは大学OBも不祥事を引き起こしていて、ジェンダー論の授業を受けていた時、担当の先生が「また○○大(私の大学)かあ」と嘆くなど、世間的に見ても大学や学生に対する冷たい視線が注がれていた時期であった。

私はその頃大学の学生マンションに住んでいたから、大学に通っているだけでなく、自分の住んでいるところまで大学関係という、かなり大学にどっぷり浸かった生活をしていた。
それゆえ、学生による不祥事が頻発すると、私は大学に居ても部屋に居ても、常識のない学生や犯罪行為をする学生の魔の手から逃れられないような気分になり、とんでもなく気持ち悪く不快な思いをしたことを覚えている。

ただ大学そのものはそれほど嫌いではなく、図書館は頻繁に利用していたし、コロナ禍でキャンパスから人が消えた際には、キャンパスをひたすら歩いて辺りを探検するなどしていて、大学に対する愛着はしっかり持っていた。
有名難関私大を卒業したことに誇りを持っているし、東京に行くことがあればまた、大学の図書館にも行ってみたいなと思っている。

以上を振り返ってみて分かることは、私の性格が他人と比べて非常に神経質であること、そしてひとつ自分の気に障るようなことがあると「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」のようにそれに関するあらゆる事柄や関係者が嫌いになってしまうという、厄介な特徴があるということだ。

それゆえ、高校でも大学でも、そして縁もゆかりもない地域に移住した札幌時代においても、「好きでもあるし嫌いでもある」というアンビバレントな感情が常に私の頭を支配している。
好きが上回ることもあれば嫌いが上回ることもあるという、まるでシーソーが上がったり下がったりするような不安定な精神状態が続く。

最後に、これらの感情に共通していることはないか考えてみる。
はっきりしているのは、プラスの感情は人以外のモノに対して向けられていて、マイナスの感情はに対して向けられているということだろう。

つまり、私が元来抱えている「人嫌い」とそれに起因する孤独・孤立が、上記のような愛憎共存する感情を引き起こしていると考えることができる。
したがって、正常な感情を取り戻そうとするのであれば、まずは自分の孤独感を解消し、少しでも精神的に頼れる仲間を作ることが必要であろう。

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