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祖父から継いだ仕事

祖父は開業医だった。診察のかたわら、毎月病院のお便りを自分で書いていた。夏は熱中症の注意喚起、冬は風邪やインフルエンザについて。その地域に住む人に向けて、祖父が直々に健康に関する情報を発信していた。文章はやや古めかしい、固めの文体で綴られている。内容もよくわからないのに、私は子どものころからそのお便りが好きだった。
祖父は私が医者になることを期待していたが、残念ながら望みは叶わなかった。私は薬学部へ進学した。私は医師として祖父の後を継ぐことはなかった。小児科医の叔母が、祖父の病院を継ぐことになった。

私が大学生になってからしばらくして祖父が体調を崩し、病院のお便りを書く余裕がなくなってしまった。そこで叔母を経由して、祖父のお便りを代筆しないかと私に声がかかった。一部を祖父が書き、叔母の監修を受けた上で残りの余白を私が埋めることになった。
自分が悩んでいたという単純な理由で、生理痛についてコラムを書いた。身内からの依頼とはいえ、そのとき私は初めて文章を書いたのだった。コラムは評判が良かったらしい。割りの良いバイトとして時々請け負っていた。
実習が始まり、学業が忙しくなったあたりで代筆の仕事は辞めてしまった。文章を書くことは得意だったが、その当時からライターとして生きていこうと思ったわけではなかった。

大学6年生の夏、祖父が亡くなった。遺品の中に病院のお便りをファイリングした冊子があった。冊子は辞書のように厚く、祖父の生きた軌跡がそこに残っていた。その中でも最近のページを見ていると、「文責」の欄に私と祖父の名前が並んでいた。
読んでいるうちに涙が出てきた。もっと一緒に書けば良かった。時間なんていくらでもつくれば良かったのだ。もう私と祖父の名が並ぶことはない。その瞬間に祖父が亡くなったという事実を強く実感したのだった。

私は医者にはなれなかった。だからといって、薬剤師として生きる決心もつかなかった。ずっとそのことを後ろめたいと思っていた。
しかし、医者にはなれなくとも、文章を通して人を支えるという祖父の遺志を継いだのだった。

部屋の片づけをしていたら、祖父が送ってきたお便りが引き出しから出てきた。改めて祖父の文章を読み返す。ちょっとだけ自分の文章に似ている気がする。
noteで書く私の文章は、よく「そっけない」「淡々としている」と言われる。祖父の文章もどこか近い雰囲気を持っている。
はて、文体も遺伝するのだろうか?

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