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ライターを名乗るようになってから

「フリーでライターやってます、やーはちです」
最近の自己紹介はこれで終わりだ。最近は特に「薬剤師です」と言わなくなった。言われるような仕事を全部辞めたからだ。

ドラッグストア時代は「薬剤師さん」だったし、企業時代も「薬剤師でメディカルライター」というポジションにいた。
薬剤師だったころ(厳密には今もそうだが)、決して悪い扱いを受けていたわけではない。国家資格で専門性の高い仕事だから、むしろ褒められる機会の方が多い。それでも薬剤師になってから、いや入学した時点ですでに「薬剤師」や「薬学部の学生」を名乗ることに強い違和感を持っていた。

以前に何度か書いているが、薬剤師になったのは母親の希望だった。経済的には恵まれていて、実際に就活もすぐに終わった。それでも十分な恩恵を受けながら、私は常に息苦しさを感じてきた。誰か別の人間を装って生活しているような、毎日嘘をついているような罪悪感。何をしていても居心地が悪い。それでも周りからは「恵まれている」と言われてきた。
仕事自体の問題ではない。振り返れば薬剤師という仕事を選ぶ過程に、一切内的な動機を持たなかったのが原因だろうと思う。

村上龍「13歳のハローワーク」に、「作家」という項目がある。

作家の条件とはただ一つ、社会に対し、あるいは特定の誰かに対し、伝える必要と価値のある情報を持っているかどうかだ。伝える必要と価値のある情報を持っていて、もう残された生き方は作家しかない、そう思ったときに、作家になればいい。

新 13歳のハローワーク(村上龍/幻冬舎)

これを読んだのは中学生くらいだったと思う。当時はいまいちピンとこなかったので、それきり忘れていた。しかし、最近上記の言葉を身に染みて実感するようになった。

文章を書くという仕事は私にとって、「なりたかった仕事」というより「流れ着いた先に見つけた仕事」という印象がある。流れ着いたとはいえ、これだ、これしかない、という思いは十分内的な動機だ。
ライターを名乗るようになってから息がしやすくなった。この肩書きには嘘がない。うしろめたさを感じることなく、顔を上げて歩けるようになった。
残念ながら、このまま生きていけるかはまだわからない。だからこそこの世界で思い切り呼吸を続けるには、ただ書き続けるしかないのだろう。

昨日、初めて作品にサインを書いた。字を書くのが苦手なので、緊張しながらペンを走らせた。上手く書けたかはわからないが、それでも書けたのは嬉しかった。
これからも肺いっぱいに呼吸をしたいし、自分のサインを書きたい。

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