文章の寺子屋の宿題 課題「違和感」(お直し前)

「ミセスは振袖着ませんね。振袖はいわゆる、異性へのアピールですから、ミセスが着てはおかしいわけです。」
数日前の着付けの教室日のこと。半年くらい前に、急に昔に出会った人の言葉を思い出して、なんとなく始めてみた着物の着付けだった。
「あなた着物似合うわよ。機会があったら着てみなさい。」その人は気難しい老女だった。
着付けを始めた当初は何も分からず、新鮮に思えた。月に2回、半年も習うと、割りと着物が着れるようになってきた。あと勉強すべきは着物の格や柄、色などかと思った。でもそうではなかった。
私はもうそれらに興味が無くなっていた。私にとっての着物は、自分が満足して着れればよいというものだと気付いた。日本のしきたりにそぐわない、と思われる生き方を選択した瞬間から、着物にまでさようならを言われている気がしてくるものなのか。
あれほど楽しいと思えたお教室だったが、先生の言葉の節々に違和感しか感じられなくなっていた。
「太宰治の奥さんは、夫の通夜で普段着の着物を着ていました。葬儀の時は流石に喪服だったようですけどね。でもこれは本来違うわけで、通夜だったとしても、喪主ですから。喪服であるべきですね。」
この言葉の列が右の耳から頭に入り左の耳から抜け出る間際に、私はその列の最後にタグをつけた。
#いいじゃんどうだって
その通夜に着た着物は、喧嘩して殺されそうになった日の思い出の着物かもしれない。又は隠されてた手紙を読んで、どこまで泳がせとくか考えてた夜に着ていたかもしれない。
お教室はあっという間に終わっていた。


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