遊べる通学路

息子と一緒に、毎日てくてく歩いている通学路。歩くことにもちょっと慣れ。道にもちょっと慣れてきて。何となく自分の小学生時代との違いというか、そんなものを感じる余裕が出てきた。

一番感じるのは、「遊ぶ余裕があまりない通学路」だよなぁということだったりする。

その原因の大きなものは、車道との近さ、車の通りが多いということだと思う。歩道がある場所もあるけれども、どうしてもすぐ横を車が通る道もあって。とにかく車を意識して、端の方に寄って歩かないといけない場所も多い。その間は「いかに車に気をつけるか」に集中するので、なかなか道端の草を愛でたり、もっと言えばそれで遊ぶという余裕もとれない。

車があまり通らない場所なら落ち着いて歩けるので、少し余裕が出てくる。でも誰かの土地に勝手に入るわけにもいかないし。道端のタンポポの綿毛をふーっとしてみたり、最近はカラスノエンドウに豆がついているのでそれを取ってみたり。そういう遊びはできなくもないけれども、どうしても小さくまとまりがちかなと思う。


あとはまぁ、私の存在。もっと言えば大人の存在が「遊び」という面ではマイナスに働くこともあるのかなと思う。

今は私がほぼ送り迎えをしていて一緒にいるので。例えば帰りに息子が「もっとこの場所で遊びたい」と思っても、私は家に帰りたいので長居することはない。これが子どもだけなら、もっとその場にいてキャイキャイするのだと思う。

地域の大人の目も、防犯や安全という面ではあった方がいい。けれど子どもが思いついた遊びをするには、少々邪魔なこともあると思う。

少なくとも今の息子の登下校は、私自身がしていた時より大人の目があり自由がない。それもまた「遊ぶ余裕がない」ことに繋がっているのかなぁと思う。


私の通学路は特殊というか田舎ならではだと思うので、息子の通学路と同じにはなりえない。

ただ、自分がこうして息子と歩いていて思うのは。「楽しいものがないと、この距離を歩くのは面白くないよな」ということ。

私ほどじゃないにしても、息子だって片道30分弱くらいをてくてく歩いていくのである。その距離をただただ歩くって面白くないし。何かしら変化に気付いたり、遊びを見つけたり。そういうものがあるからこそ歩けるのだと思う。

子どもは遊びの天才なので、どんな道だろうと何かしら楽しいことは見つけていくと思う。ただまぁ、楽しいことの種は多いに越したことはないし。それに気付ける余裕も持っていて欲しいなぁと思ったのだった。


自分が歩いていた頃を思い出しても。とにかく通学路を歩くのは楽しかったなーと思う。何で楽しかったのかって、友達と話しながら、いろんな遊びをしながら歩けたからだと思う。

息子にとっての通学路も楽しいものになればいいなと思う。少しずつでも遊べる要素が増えたらいいね。



ではまた明日。