「死」というもの

息子が突然泣き出した。「死」というものが怖くなったらしい。

直前に特別何かがあったわけではなく。あえて言うなら年度替わりで子ども向け番組の主演の子が最後だったので、「終わり」を連想させるものだったのかもしれないのだけれど。それにしたってそこからいきなり「死」に結びつかないと思うし。正直よくわからない。

ただ、息子にとってはとても怖くて、どうしようもないことが起こっている。息子の身に恐怖が降り掛かっているのは確からしかった。

息子はとにかく「死ぬ」ということが怖いのだと泣いていた。


だって、ゲームとかなら生き返ったりするけど、自分はできないし。

お父さんやお母さんがいなくなったら、自分ひとりで生きていかないといけないし。でも自分は何もできないし。

私たち(親)ともっと一緒にいたいのだ、ずっと一緒にいたいのだ。でも私たちはおそらく先に死んでしまって、自分が残されるのだ。別れたくないし、別れても天国で会いたい。


そんなことを、泣きすぎてまともに話せない中訴えていた。本当、急にどうした、何があったのだ。



よくわからないけれど。何故か息子の中で「死」というものをより具体的に想像できるようになったのだろう、ということだけは確からしかった。生まれたものはいつかは死ぬ。それは、この世界の法則、ルールであり、誰も逃れることができないことである。

私たちは生まれた瞬間、いつか死を経験することを決められるのだ。どんなに嫌でも怖くてもなんでも、その時が来たら経験せざるをえない。

歳を重ねるほどその時を迎える覚悟ができやすい気はするけれど。完全に覚悟ができる人なんてどれだけいるのだろうとも思う。

漠然とした恐怖は私にもある。私は「死」というものに対して、それなりに怖くない考え方を知っているし、おそらくそれが真実だと考えてはいるものの。それでもやっぱり、未知のものに対する恐怖だとか、この生を終えることに対する未練だとか、そういうものは持っている。

まして息子は6歳なのだ。「死」というものに対するいろんな見方を知らないし。実際に身近な人と死別したこともない。こんなに泣くほど怖がるというのも、わからなくはない。初めて自分のこととして死を感じた瞬間は、私もこのくらい怖がったのかもしれない。


とにかく泣き続ける息子を、私と夫は抱きしめた。大丈夫だよ、お父さんやお母さんは、そんな急にいなくなったりしないよ。仮にいなくなることがあっても、人は沢山いるから。息子と気の合う人だって絶対にいるし、ひとりになることはないんだよ。

そんなことを言いつつ。しかしこの恐怖をどうにかできるのは、息子だけなんだよなぁとも思う。

私には息子のこの恐怖を肩代わりすることはできないし。根本的に安心を与えることもできないのだ。

だって私は、ずっと息子の傍で生き続けることができないのだから。他人がどうにかすることができない以上、息子は自分で恐怖をどうにかするしかない。それは息子にしかできないことなのだ。


それをあえて口に出すことはなかったけれど。気休めにしかならないことはわかっていたけれど。私たちは、ただ息子の傍にいて抱きしめることしかできなかったので。とにかく息子が泣き止むまでは、ぎゅーっとしていたのだった。


本当、息子に何があったのだろう。

ただまぁ生きている以上、どこかでは直面する感情で。それが昨日だったのかなぁと。そんなことを思ったのだった。



ではまた明日。