人のために1

昨日の記事に続き、相変わらず「彼」が発端でぼんやり考えていることを書き散らすぜ大会。

自分の中で全くまとまらないものの。ついつい気になってしまって、何やかんやと考えられる時にはずっと考えてしまっている。おそらくだけど私にも似たところがあって、自分を知るためにも引っかかっている部分なのかなぁと思いつつ。


今一番考えているのは、「『人のため』ってなんだろう」ということだろうか。以下、「人のために何かをすることはいいことだ!」と100%思っている方はたぶん読まない方がいいです。嫌な気分になると思います。


これはあくまで私個人の感じ方。万人がそう思うことはなくて、でも私はそう感じてしまうのだ、という前提の上で正直に書くけれども。

「人のため」な行動を見ている時、純粋に「あ、いいな」と思う時と、「何か薄ら寒いものを感じるな…」と思う時があるのである。

この違いって何なんだろう、と前から疑問に思っている。

後者の場合は何となく見ていてもやもやするというか、ぞわぞわするというか、気持ち悪さまで感じてしまう時がある。

例えばあからさまに「自分を良く見せよう」と思っていたりとか。「人のため」という形をとっているけれども「自分のため」が前面に押し出されていたりとか。それは見ていてとてもわかりやすいし、「うーん。そうなのだね」と思いはしても、そこまでぞわぞわしない。

おそらく純粋に自分が人の役にたつことをやりたくてやっていると本人が思っている時ほど、何かぞわぞわしてしまう。気がする。

でも、同じ「自分が人のためにやりたくてやっている」でもぞわぞわしないものだってあるのである。

一見、同じように見えるけど「いいな」と「ぞわぞわ」に分かれてしまうこの現象。その分かれ道にはどんな看板が立っているのだろう。


ベタなところでは「依存心」なのかなぁと思う。というかこれが答えの半分くらいは占めているのだと思う。

「人の役にたつことは素晴らしいことだ」と幼少期から教えられていたら、当然それを「良いこと」だと皆思うだろうし。「そうである」ことで自分を成り立たせようとするというか。

平たく言えば、「人の役にたつ自分」を作ることで自分の価値を上げる、もっと言えば自分が存在していい理由にしたい、そういう感じなのだろうか。

もちろん表立ってそう考えているわけではなくて、根底にそういうものがあって無意識にそうしてしまう感じで。

だから表面から見たら「とてもいい人」で純粋に人のために、と思って行動しているように見えるのだけど、その裏にあるのが「そうじゃなきゃ自分の価値がない」という自己否定だったり、「助けられる他人」を必要としている依存心だったりして、俗な言い方をすると「何か闇を感じる」からぞわぞわするのかなぁ。と思ったり思わなかったり。



って、物凄く尻切れトンボで申し訳ないけれども時間なので今日は終わります。どこが彼発端なのか全く書けていないな。



ではまた明日。